今朝(11月15日)の日経新聞経済欄の記事。
「求人なくて働けず失業、23年ぶり解消」
記事の中身抜粋。
『求職者数に対して企業の求人数が足りない状態が解消したことが、日銀の試算でわかった。今年7~9月平均の完全失業率が、求職者と企業の条件が合わないために起きる「ミスマッチ失業率」を下回った。逆転は1992年7~9月以来23年ぶりで、職種など条件にこだわらなければ働ける状況だ。日銀は企業の人手不足感が強まり賃金や物価を押し上げていくとみている。』
なるほど、求職者(仕事を求める人)と求人数(仕事に就いて欲しい人数)のバランスが一致よりも僅かに求人数が上回ったらしい。
要は「贅沢言わなければどこかで仕事に就くことができる状態」=完全雇用の状態にある。
今後さらに求人数が増えれば「雇用の持続」のために給与が増加し所得が増えて消費が増える。
結果的に税収も増えるしGDPも増えるという「日銀」の思惑。
しかし、果たして現実は日銀が言ってるような状態にはなっているのか?
先週、札幌にて会社説明会と面接を行った。
平日の昼間、冷たい雨まで降りだす「最悪のコンディション」にもかかわらず、たくさんの人に集まっていただいた会社説明会。
多くの方を採用したかったがそうはいかない、厳正に選ばさせていただき2名の採用を決めた。
面接の際にお聞きした「札幌の就労事情」は先述の「理想的状況」とは程遠い。
大学を卒業しても「正社員」として希望する仕事に就くことはほぼ不可能である。
東京で採用活動を行っている企業には実感はないかもしれないが、札幌のような100万人都市でも新卒中途かかわらず就労状況は厳しい。
「じゃあ東京に就職すればいいじゃないか!」
という声もありそうだが、生まれ育って家族もいる地を離れなければ雇用されないような状態を「当然」とするのは如何なものか?
これで「完全雇用」状態なのだろうか?
やはり地域格差を感じざるをえない。
地域格差と言えば、昨日の母校50周年記念式典に参加して痛切に感じてしまった。
ここで言う「母校」とは東京都足立区立鹿浜中学校。
自分は今から35年前に卒業した。
卒業してから訪れることはなかったし、自分は25年前に地元から離れている。
その母校が創立50周年を迎え、さらに来年度には隣の中学校と統合されて「鹿浜菜の花中学校」となるらしい。
ということで最後の周年記念行事が行われた。
ほとんどの方に馴染みのない「地」であろう鹿浜についてちょっと解説。
足立区の中でも埼玉県川口市との境に位置している。
高度成長期やベビーブームの時代には多くの公営団地が建てられ、それに伴い小学校や中学校がどんどん建てられた。
それが今から50年近く前のこと。
建てられた当時、団地には若い家族がたくさん移ってきた。子どもの姿が常にあった。
それが現在では子どもの姿はほとんど見られない。
地元の人に聞いた話だと、現在住んでいるのは昔から住んでいる「老人」と生活保護を受けている世帯のみらしい。
子どもの数は減少し、中学校に通う人数も減少。
我々の頃は1学年8クラスあった中学校も現在では3クラス。
校舎は「空き部屋」だらけ。
机や椅子を補完するだけの教室があったりして寂しい状況。
「こりゃ学校の統合は当然だな」としみじみ感じ入る。
この周年記念行事については、もともと参加する意思はなかった。
しかし、地元で活躍している父親の「顔」を立てることと、昔の先輩からの「強制力」によって参加せざるをえない状況になってしまった。
嫌嫌とはいえ、参加したからには周囲の方とのコミュニケーションはしてみたい。
たまたま隣の席になった方が中学校時代にお世話になった先輩のお兄さん。
「先輩はお元気ですか?」と話しかけてから色々な話を聞いた。
それで先述のような状況を聞いたわけだ。
さて、式典自体は型通りの記念式典である。
足立区長が「この学校をモデル校にして・・・」などと嘘くさい話が鼻についたが(常に問題校だったくせに!)
式典後には懇親会まで行われ、料理もお酒も出て周りのおじさんたちは上機嫌。
自分も父親に連れまわされて、初めて会う人たちに自己紹介。
今振り返ってみても、誰が誰だか全く覚えていない。
一人だけ近所の小学校で校長先生をしている、高校の先輩がいらっしゃった。
この方だけがあの場での心の安らぎ(ありがとうございます、高山先輩!)
それにしてもである。
鹿浜の地になぜこうも人がいなくなってしまったのか?
東京であるにもかかわらずである。
都心からの距離で言えば「田園調布」と変わらないのである。
それでも人が減り続けている。
公営団地が原因なのかもしれないが、街全体が寂れている感が半端じゃない。
地元の店舗も軒並み廃業、他の地域に店を移しているらしい。
このままあと数年したら、街は一体どうなるのだろうか?
地域の経済は完全に崩壊しているし、住人は減る一方である。
ゴーストタウン化は間逃れないであろう。
「地域格差」はどのような地域にもあることなのだ。
鹿浜の地をもう一度子どもたちの声が溢れる場所にするには、これからどうすれば良いのだろうか?
地元の人たちの力次第なのであろうが、行政も含めて大いなる判断が必要な気がしてならない。
懐かしい思いよりも複雑な思いを残しつつ帰路に着いた。