前回「努力の賜物」というテーマで書いた。
これは「努力」できる大人の話。
「子ども」であれば話は変わる。
家庭の事情で「努力」したくてもできない、周りと同じように生きようと思っても生きられない。
そんな環境の子どもたちがいることを忘れてはならない。
「家庭の事情」により子どもの生活には格差が生じている。
「学校に通わせること」以上のことを子どもにしてあげられない家庭がある。
実際に数字で見てみよう。
日本の世帯年収の平均値は540万円前後と言われている。
しかしこれはあくまで「平均値」、そこに至らない世帯は60%を超える。
世帯年収100万円から200万円の世帯というのは30%近く存在する。
これを母子家庭だけにフォーカスしてみると。
世帯平均年収は250万円。この平均年収に届かない世帯も60%弱存在する。
世帯年収が200万円前後の生活を想像してほしい。
月に15万円〜20万円で家族が生活しなければならない。
家賃光熱費で10万円は超えるだろう、食費は人数によるが6〜8万円はかかるだろう。
これで約20万円。
子どもが学校に行くためには「洋服」「靴」「カバン」「文具」最低でもこれだけは必要だ。
毎日同じものを着るわけにはいかないから複数必要になる。
「給食費」「修学旅行費」「その他経費」
年収200万円では到底追いつかない、ましてや子どもが2人、3人と増えればなおさらだ。
「親がもっと働けばよいだろう!」と言われるかもしれない。
確かに。しかし親が働けないとしたらどうだろうか?
例えば、
「災害で仕事が消滅してしまった」
東日本震災や熊本、古くは阪神など大きな災害によってそれまでの仕事をいきなり無くした人にはすぐに働く場所がない。
「母親だけで育てている」
様々な事情で母親が一家を支えていることもある。女性の年収は男性よりも低く抑えられているケースが多い。ましてや正社員でなければ年収は上がりようがない。
「親が病気がちで働けない」
好きで病気になる人はいない、代わりに子どもが働くわけにはいかない。当然に年収は低くなる。
「親が働く気がない、養う気がない」
最悪であるが現実に存在する。そして残念ながらこのケースはかなり多い。
どのようなケースであっても「子どもたち」に責任はない。
震災も一人親も親の病も、ましてや親が働かないのは子どもの責任であるはずがない。
そういう子どもたちが学校に通うとどうなるだろうか?
家は勉強ができる環境に無く学校の勉強に遅れてしまうこともあるだろう。
学校の勉強に遅れて興味を持てなくなり周囲とも壁ができてしまう。
現在は小学校低学年から「塾」に通うご時世である。
偏差値の高い学校に入ろうと思えば「塾」や「家庭教師」の力が必要になる。
しかし、先ほどの事情がある子どもたちにとって「塾」も「家庭教師」も夢のまた夢である。
進学も諦めて、将来の進路を閉ざされてしまった子どもたちはどうなるのだろうか?
「貧困の連鎖」
年収の低い家庭に生まれた子どもは年収の低い職業に就かざるをえない状況になってしまう。
これが「相対的貧困問題」
「絶対的貧困」というのは海外で目にする「衣食住が困難な状態」である。
「相対的貧困」は「周囲と同じチャンスを得ることができない」状態である。
子どもは誰でも最初は「可能性の宝庫」だ。
努力によって何にでもなれる。
しかし、努力する「土壌」がなければ可能性は消滅する。
この現象を「自業自得である」と言えるのだろうか?
子どもたちの機会損失は社会で止めなくてはならない。
少しでも是正する具体的な行動をするべきである。
「チャンス・フォー・チルドレン」という団体の活動がある。
子どもたちに”バウチャー”という「学びチケット」を無料で配布している。
そのチケットで「塾」や「家庭教師」を利用することができる。
明日配信のネットラジオ「キャッチナウ」にゲストとして来ていただいているのでお聞きいただきたい。
ぜひみなさんにも協力をしていただきたい。
当社としては全面的にサポートしていきたいと思っている。