最近当社では頻繁に使われるようになった「グリット」(やり抜く力)。
当社に事業形態には比較的すんなりと受け入れられたようだ。
さて今回も「グリット」(ダイヤモンド社刊)からちょいといただいた話を。
この本には「やり抜く力」を発揮するには「ポジティブ思考」が必要だとある。
これは「なるほど!」とうなずける。
「どうせやってもダメだろう」と考える(ネガティブ思考)人よりも「今はできなくても頑張ればなんとかなる!」と考える(ポジティブ思考)人の方が物事をやり抜く力は上であろう。
さて、それではこの思考というのは一体いつ決まっていくのであろうか?
生まれながらの性格?育ってきた環境?それとも単なる思い込み?
もしも生まれながらの性格だけで決まるのであれば、残念ながら諦めていただくしかない。
しかし「グリット」の書籍内でも触れられているが、どうやら後天的な要素の方が強そうである。
確かに育ってきた環境によっても「ネガポジ」は相当に影響を受けるようであるが、まぁそれは教育書に任せてここでは「自身の思い込み」について考えてみたい。
自分は子どもの頃ネガポジどちらだったのだろうか?ちょっと振り返ってみた。
すると「どっちも」であることに気がつく。
小学校低学年で少年野球を毎週やっていたが、体の小さな自分はレギュラーになることができずにいた。
当時父親は監督でもあったので「頑張ってなんとかする」ことはできたのだろうが「どうせやっても上手くならない」と早い段階で諦めてしまい、結局レギュラーになることはできずに野球はやめた。
これはネガティブ思考の典型であり、やり抜く力なんて発揮できるはずがない。
その後サッカーにも手を出したが、これもそこそこでやめてしまう。
理由は中学に入ると「ベラボーにうまい連中」がどかっと入ってきたからだ。
サッカー都大会でベスト5に入るような小学校と同じ中学校に入ったが故に「どうせ勝てるわけない」というネガティブ思考で諦める。
その後バスケットボール部に入るのだが、これはそこそこ頑張れた。
自分と同じように体の小さい先輩が努力してレギュラーになったのをみて「自分にもできるかも」と思えたことが大きい。
先輩の練習を見ながら真似をする、体が小さいことを利用して大きい人にはできないプレイをする。
小回りを利かせる、持久力を養い走り続ける、ロングシュートの練習をする。
努力をすることで目的を達成することを覚えた。
高校に入るととてもではないがスポーツでかなわないと自覚する、男子校一学年400人もいてはさすがに無理である。
たまたま見つけた音楽の道。
初心者の自分は周囲からかなりバカにされた。
しかし「絶対に見返してやる」という強い思いを抱く。
部活だけでは上手くなるわけがない、自宅にドラムの練習台を購入して毎日叩き続ける。
その時は「どうせやっても無駄だ」なんて思わなかった、悔しさと見返してやるという思いが「絶対上手くなってやる」という情熱となっていた。
結果的に高校三年間で一応の”プレイヤー”になれた、文化祭ではひっぱりだこだったしね。
「頑張ればなんとかなる!」という自信を持てたのはこの時の経験が一番だったような気がする。
社会人になって営業職という不本意な仕事に直面しても「なんとかなる!」というポジティブ思考が役に立った。
結局、三年半の営業マン経験はポジティブ思考を十分に醸成することとなった。
経営者になってからの自分は「どうせダメだ」と思った記憶がない。
「今は苦しくても必ずなんとかなる、なんとかする算段は必ずある」と常に考える、ある意味楽観的でもある。
特に自分を支えてくれるメンバーが増えてくればなおさらである。
途中で投げ出すことができないという責任感の方が先に立つから当然なんだけど。
結局のところ、ネガポジは「自分の心がけ一つ」ということが言えそうだ。
家や親のせいにして「どうせ自分はうまくできない」などと逃げていては結局「逃げの人生」を送るだけになってしまう。
自らの道は自らで築くしかないのである。
特に若いうちはいくらでもチャンスはあるのだ、一度や二度の失敗で「どうせダメだ」などと決めつけないことだ。
「やり抜く力」を養うためにも「ポジティブ思考」を大切にしてほしい。