震災から2週間が経った。
街に人が戻り、いつもの忙しい日々が戻ってきたかのように見える。
しかし、何かが変わった気がする。皆、心に何かを引きずっているような。
不安感、焦燥感、落ち着かない心。
自分達ではどうにも出来ないという無力感。
楽しい事、前向きな事など考えられない。考えてはいけない。
テレビの「AC」が自虐的なネタになって、無機質な笑いを誘う。
居酒屋にも少しずつ人が戻ってきたけど、酔っぱらいがいない。
どこか遠慮がちで、心から楽しめていない。
無理も無い。ニュースは悪い報告ばかり、原発は好転しない。
マスコミが閉塞感を伝えている。
エンターテーメントは、自粛。
笑いは「不謹慎」、自分達だけが楽しむのは「不謹慎」、経済やお金の話が「不謹慎」。
皆、頭を垂れて、息を殺して生きているようだ。
これが、震災から半月を経た東京の姿だ。「不謹慎だから自粛」が大手をふるって歩いている。
今回の震災で、東京は建物の被害よりも人の心への被害が甚大なのかもしれない。
もちろん、被災地の人々の状況を考えれば普通ではいられない。
しかし、日本の中心都市「東京」がこのままで良いのだろうか?
東京は日本経済の中心である。
情報が集まり、人が集まり、お金が集まる。
産業が興り、人が育つ。世界に誇る都市東京である。
不謹慎だからといって、いつまでも自粛していて良いのだろうか?
被災地の人々は、これからそれぞれの生活を再建しなければならない。
そのときに必要なものは「仕事」である、「雇用」である。
それは、いったいどこの誰が産み出すのか?
自粛によって収縮した経済でどれだけの「雇用」を創出できるのか?
震災前の日本の雇用を増加させていたのは、小売り、飲食、流通である。
不謹慎だからと、外食や買い物を自粛すると、結果的にこれら業種の売上を下げ、結果として新規雇用が激減してしまう。
これからしばらくは日本復興のために土木、建築業種の雇用も伸びるであろう。
しかし、それは一時的である。
長期的に見れば、日本はサービス産業が成長産業になるはずである。
サービス産業育成の為には出来るだけお金を回さなければならない。
皆が巣ごもりをしてお金を使わなければ、あっという間に不況になってしまう。
春の高校野球が始まった。
中止するべきか、という議論もあったらしいが決行した。すばらしい決断だと思う。
高校野球を見て少しでも勇気や希望を持つ事ができる人がいるとしたら、立派な復興支援と言えまいか?
我々、東京に住み、そして事業を営んでいるものは、不謹慎だから自粛ではなく、出来るだけ経済を回すような活動を行い、被災した人々に勇気と希望を持ってもらえるようにするべきではなかろうか?
現実は厳しい、そして悲しみも多い。
今は、それに正面から向き合い、きちんと受け止めつつも次の一歩を踏み出す必要がある。
企業側も勇気を持ってこの「不謹慎だから自粛」と戦わなければならない。
コンサートやテレビはどうなのだろう?
台湾では、今回の震災の為にテレビで23億円もの義援金を集めていただいたそうである。
心から感謝したい。
日本でもいつまでもお茶を濁すような放送をせずに、真のチャリティをやってみてはどうだろう?
ノーギャラで広告収入もすべて義援金として集める、そんな番組を作るような放送局はないのだろうか?
それが出来ないのであれば、節電対策として民放を輪番制にして半減し、深夜番組の一斉中止くらいするべきである。
前回からの繰り返しになるが、「今、我々にやれること」は特別なことではない。
自分の置かれた環境の中で、しっかりと仕事をすることである。
被災地で働く人や原発で奮闘する人達と同じ気持ちで、今の仕事をやり遂げようではないか。
そしてお金を回す努力をしよう、無駄使いをしようというわけではなく、できるだけいつもの生活をしよう。
それが、日本の為、復興の為になると信じている。