年を取ると「自分はこういう人間だから、今さら変えられない」なんて言ってみたりする。
確かに数十年人間やってそれなりの人生を経験したら、新しい自分を作る事は面倒くさいものであろう。
逆を言えば、若い時というのは、いかようにも自分を変えるチャンスがあると言える。
しかし、「私はこういう人だから」というのは今や男女問わず、年齢関係なく誰でも言い放っている。
自分に正直なのは結構なことだが、それほど人間やってないのに自らを「こういう人」と定義づけるのはいかがだろう?
人生において、20代30代というのは自身の価値観を大きく成長させる、絶好の時期だと思う。
特に20代なんていろいろな事を学んで、経験して、ある意味もがき苦しみながら自分を創り出していく時期だ。
それにもかかわらず「自分はこういう人だから」などと自分の成長を止めてしまうのは何とも嘆かわしい。
自分を固定してしまうとそれ以上がない。
「自分はこういう人症候群」の最もやっかいな点は、他人の言葉に関心を持たないこと。
関心を持ってもらわなければ、何かを伝えることもできない。
他者から見たらもっと可能性があるように見えることだって、本人は気づかない。
聞く耳を持たなければ一生気づかずに「こういう人」で終わるのである。
一方で「こんな事もやってみたい」「こっちにも興味ある」と興味の幅が広い人は楽しい。
そういう人は他者に興味を持っている。自も成長しようとしている。欲がある。
そういう人は往々にして多少生意気ではあるが、それもまたよし。
自分が社会人になりたての頃はそんな人はたくさんいたような気がする。
しかし、昨今の若手にはあまり見られない。残念である。
バブルが崩壊して早20年近くが過ぎようとしているが、社会の閉塞感は20代30代の生き方にも大きな影響を与えてしまったようだ。
しかし、嘆いていてばかりいてもしかたがない。
「自分はこういう人症候群」の方は一度「他人の尺度」で考えてみてはどうだろう。
要は、隣のAさんの立場になって考えてみる。
自分とは違う誰かになって考えてみれば、また違った見方もできるかもしれない。
他者から見た自分の良さや問題が見えるようになる。
そこから自身の成長の糸口が見えるかもしれない。
「自分はこんな人症候群」は個人に限ったことではないと思う。
企業は「自分たちはこんな程度の企業だよ」と成長を止めてしまえば、その先には確実に終焉が待っている。
企業は常に新しいチャレンジが必要で、他社からの視点もユーザーからの視点も求められる。
場合によっては変化も必要だ。
企業だけではない、国もそうであろう。
「うちの国はこんな程度だよ」と見切った先には終焉が待っている。
他国から見た自国の評価をきちんと理解してないと、まずい事になる。
今話題のTPPもそうだろう。
国内でも評価がが割れているが、単に工業製品と農業の関税撤廃論議で終わってしまっては稚拙すぎる。
日本にとってのメリットデメリットばかりではなく、他国から見た日本がTPPに参加するメリットを考えてみてはどうだろう。
なぜアメリカがここまで日本に参加を促すのであろうか?
貿易相手国としてはさほど重要度があるわけではない日本になぜTPP参加を呼び掛けるのか?
彼らなりの戦略があるとは想像しないだろうか?
それらに立ち向かうだけの国としての戦略があるのであろうか?
他国の言いなりで自国の方針を決めてはいけないと思う。
日本としてどう他国と向き合うか?が問われている気がする。
自国を正しく評価しないと、本当に大切にするべきものまで奪われることになりかねない。
内向きの価値観にこだわっていると大切なものも成長する時期も失ってしまう。
結局、自ら変化することを恐れずに成長していかないと、個人も企業も国も先は危ういのである。
変化することは苦しみも伴うが、そこを乗り切る覚悟が必要なのであろう。