同じ環境で同じモノを見たり聞いたりしても皆が同じ事を感じるわけではない。
育ってきた環境によっても、年齢によっても、男と女の違いによっても違ったりする。
それらを擦りあわせたり、気持ちをぶつけあったりして相手の気持ちや考えている事を知り、理解が深まる。
感じ方の違いこそが感性であると思う。
自分とは違う感性を持った人と話をしたり、話を聞いたりする事はとても刺激的で楽しい。
自分は楽しいと感じている。
先週、経営者勉強会の忘年会があった。
自分が師事している山口先生の話は本当に楽しい。
今回もその独特な感性で世相を斬る。
いったいどうすればそんな感性を身に付けられるのだろうか。
酔った勢いで、先生に聞いてみた。
「先生のその独特な物の見方や発想は、いったいどこからやってくるものなのですか?」
先生は答える。
「資本論を読んで、感激したからだよ」
「資本論?マルクスの?」
「そう。学生時代、単位を取るために仕方なく読んだ資本論がとてつもなく面白かった。そこに物の見方の本質があったんだよ」
自分にとっての資本論とは、学生時代に単位を取るのに苦しめられた思い出しかないが、先生には違う刺激を与えたのだろう。
そこからひとしきり先生から資本論の面白さを説かれた。
結果、資本論をもう一度読んでみようかな、なんて思い始めている。
もしかして今読んだら、先生と同じような気づきがあるかもしれない。
そんな感情を抱かせるのが、感性の刺激なんだろうな。
同じ本を読んでいるはずなのに感じ方がまるで違う。
同じ刺激を受けても、受け手の感性によって全く別のものになってしまうのだ。
自分はこんな風に違った感性を持つ人との話は好きである。
先日、パソコン系スクールのお客様にご来社いただいた。
ここでも現場の話や業界の実情、今後の方向性などいろいろな話が伺えた。
刺激的だったし、為になった。
来期以降、我々がどのような姿勢で向かうべきかの課題をいただいた気がする。
そういえば、以前季刊誌の取材でお伺いした、ネイルスクールのオーナー。
我々がお渡ししている季刊誌の情報を自らの役に立てるように工夫されている。
情報は受け手側の感性によって、役に立つものにもなるし、そうでないものにもなる。
どのような情報でも自らの役に立つ、プラスの感性で物事を見るといろいろと為になるものだと感じる今日この頃。