今年の冬は寒い。
先週の水曜日は朝方から雪。
東京都心でも積雪があり、4年ぶりの閏日が思わぬ大雪となった。
こんな日は早く帰って、自宅でほっこり・・・などとするわけがない。
こんな日だから客は少なかろうと、紀尾井町の馴染みの寿司屋にひやかしに行く。
案の定の盛況ぶり(笑)。
カウンターでしっぽりと燗酒をやり始める。
「もう3月だから季節のもの入れましたよ」といつもながらの威勢でつまみを出してくる。
なるほど、春の魚、春の芽、出始めの活きの良いものが出てくる。
自分はここの大将が好きで、彼の出すものは本当にうまいと思う。
恐らく場所が場所ならこんな値段で食することはできないであろう、隠れた名店と思っている。
さわらやにしん、ふきのとうなど冬の厳しさを超えてきたからこそ味わえるうまさがある。
特に今年の冬は寒かった、魚や草木の芽にとってもしんどかったろう。
何かを超えてきたって感覚が「うまい!」に繋がりやすいのか?
同じ週の火曜日、15年ぶりに元の会社の後輩S君に会った。
後輩と言っても年は一つしか変わらない。共にあの時代を生きてきた戦友みたいなもんだ。
15年会わなかったのには様々な事情があった。
彼にもこちらにも。
駅で待ち合わせての再会。近くの居酒屋へ。
「相変わらず背が高いな!また伸びた?」「いや、伸びてないっす」
そりゃそうだ、40超えて背が伸びてたら化け物だ。
くだらない会話から最近どうよ!なんて話が始まる。そんなに会わなかった気がしない。
そこそこ飲んでくると「ところでお前、あれからどうなったんだよ」なんて会話が始まる。
「実は・・・」と彼が自らの軌跡を語り始める。
その内容は、壮絶を極める。
自分も大概の経験をしているが、彼ほどの経験はしようと思ってできるものではない。
「おまえ、生きててよかったな」なんて言葉が思わず出てしまうような彼の半生。
気が付いたのだが、それだけの経験をしている彼から他人を恨むような言葉が出ない。
そんな経験をしていれば他人に対する恨み節の一つや二つ出てもおかしくはない。
むしろ彼からは「助けてもらいました」「感謝ですよ」という言葉を良く聞いた。
15年の月日が彼を大人の男に成長させた。
辛いことや思う通りにならないことがあると「自分はもうだめだ、ダメ人間だ」などと腐ってしまってその後の努力をしなくなる人もいる。
しかし、その辛さや苦労を超えて前向きに生きようとすれば人間も“おいしく”なれるのだろう。
S君とは「今度ぜひ一緒に仕事しよう、また飲もう」と機嫌よく別れた。
そして思った。
できれば、冬の厳しさを乗り越えておいしくなった人と仕事したいと。
人とつまみを一緒にするのも失礼な話だがね。