必要のない人間なんていない。
誰もが何かで必要とされて、生を受けている。
どんなに仕事がとろくても、できなくても、空気が読めなくても。
不必要な人間なんていないと思っている。
それでも、自ら不必要な人間と思い込み、命を絶つ人がいる。
とてつもなく悔しい思い。
周りは、なぜそうなる前に気づいてあげられなかったのかを悔やむ。
悩める人は、自分の思いを周りに伝えてはいけないと思う。
自らの命を絶つことの罪の方が重いのに。
小さな命が思春期の葛藤の狭間で揺れている。
悔しさと虚しさ。
蘇る思い出。
自分が育った東京の下町。
昭和40年代の下町、はみんな貧しくそれでも明日の希望で生きていた。
公立の小学校には、いきなり転校してきていきなり去るやつがいる。
Y。小学校の高学年の頃に転校してきた。
我々の目の前に現れたYは、ボロボロの服を着ていた。
持ち物もボロボロ、筆箱も無かった。
いつも照れ隠しで笑っていた。薄汚れた黒い顔から溢れる白い歯が印象的だった。
勉強もあまり得意でなかったY。
そんな彼は当たり前のようにいじめられた。
いじめ、というのにはあまりにも幼い、からかわれていたという方がふさわしいが。
皆からからかわれてもいつも白い歯を見せてどうってことないって顔をしていた。
そんなYとは、家が近所だったので一緒に帰ることも頻繁にあった。
ある日、二人で下校中、Yがいつもの白い歯を見せずにボソっと言った。
「妹がかわいそうなんだ・・・」
Yに妹がいる事はその時に初めて知ったが、同じ小学校に通う妹がいじめられてかわいそうだと言い出した。
汚い、臭いなどと言われていじめられているらしい。
そんな話を聞いているうちに、自分がYをからかっている事が無性に恥ずかしくなり、こいつの為に何かしてやりたいと思うようになった。
翌日、同じクラスの仲間と一緒に下級生であるYの妹のクラスに乗り込んで「この子をいじめてるやつ、俺たちが許さないぞ!」とやった。
今考えれば、手前勝手な話で恥ずかしいことではあるが、何かしなくちゃ自分の正義感が許せなかったのだろう。
身勝手な正義感でもYは本当に喜んでくれた。
それから数日後。Yはなんの前触れもなく我々の前から姿を消した。
住んでいた場所にも行ってみたが、引っ越した後だった。
黒い顔から除く白い歯を見せながら「ありがとうな」と言ってくれたその笑顔が今も脳裏に残っている。
自分達は彼にとってどんな存在だったのだろうか?複雑な思いが今も残っている。
彼の「ありがとう」はなんだったんだろう?
彼の思いを皆の思いとして一緒に行動したことが彼にとっては嬉しかったのかな?
誰だって誰かと共にありたい。
からかわれたって、いじめられたって、それでもいざという時に一緒に行動してくれる仲間が欲しい。
そういう思いから「ありがとう」と言ってくれたのかな?
今となっては解決できない謎ではあるが、Yの存在はその後の自分の生き方に大きな影響を与えることになる。
人はどうにもならない宿命に翻弄されることがある。
それでもくじけずに、笑って乗り越える強さ。そしてそんな状況でも他者のことを思いやれる優しさ。
小学生のYにそこまでの思いがあったかはわからないが、人間の強さとしなやかさを感じた。
自分がどんな状況に置かれていたとして、それが永遠ではない。
状況は自らが変えられる。人間は元々そんなに弱くはない。
自分を変えることも環境を変えることもできないことなんてない。
そんな思いを持っているあなたのそばには、誰かが必ずいてくれるはずだから。