「あ、江副さん!こんにちは!」
「おお、君は営業か、ちゃんとさぼってるか?」
「・・・?」
入社二年目の頃だったと思うが、旧リクルートスタジオビルで交わした江副さんとの最初で最後の会話。
情報時代の寵児リクルートの創業者、江副浩正さんが2月8日亡くなった。
上記の会話の真意は、今一はっきりしない。営業から戻って血走った目の自分に、もっと落ち着いて仕事をしろと言いたかったのか、ただの雑言だったのか・・・。
それにしても、新聞やネットでの訃報が気に入らない。
「リクルート創業者」という言葉と、必ず「未公開株事件」や「贈収賄事件」の主犯という言葉が付く。
無理もないとは思うが、あの事件は本当に贈収賄のたぐいなのか、甚だ疑問だ。遠い将来にその本質が明らかになるのかも知れないが・・・。
8日以来FBの「リクルート関係の人グループ」書込みが激しい。
「江副さんに感謝!」「おかげで人生変わりました」「見守っていてください!」という感謝や祈りの思い。
そこには、事件の主犯としてマスコミに吊るし上げられた人にはふさわしくない内容ばかりである。
実際、江副さんやリクルートに感謝している“卒業生”(退職者でそう言う人は多い)は多い。
なぜなのだろう?
それは「リクルート的、仕事の流儀」を身につけることができたからなのかも。
どこの大学出身でも、大学を出ていなくても入社時には全く同じ線上に並ぶ。
ヨーイドンで仕事が始まり、その成果によってのみ評価される。
給料が上がるのも職給が上がるのも、すべて自分の成果次第。
そして部門、部署、チームそれぞれが成果を上げるために必死で戦う。
決して個人プレーに走るだけではなく、チームや部署の成果が出せるように一緒に努力する組織運営。
そんな人事制度や社内の雰囲気、上司と部下との関係性が個人の仕事感を構築する。
そのような価値観を身につけられたことが、その後のビジネスライフを大きく変えた。
もちろん、その社風に合う人も合わない人もいる。
自分たちの部門も入社3年後の在籍率は30%弱だ。
そこを生き残った人達の結束力は強い。
退職後に仕事上で偶然で出会うことがあっても、「何年入社?」という会話からすべてが初まる。
「じゃあ先輩ですね、○○さんと同期ですよね?」
「そうそう、○○知ってるの?」
「いやー、一度同行していただいて・・・」
なんて会話ですぐに打ち解ける事が出来る。
他の会社は知らないが、リクルートほど退職後にも仲が良い会社もなかろう。
それの根本が「仕事の価値観」の共感であり、「同じ苦労を味わってきた仲間」という意識なのかも知れない。
同じように厳しい売上目標を追いかけて、業績を上げるために日々時間を気にせずに仕事をしてきた。
その郷愁にも似た感情が何年経っても忘れられない。
だから、江副さんに対する気持は、当時のリクルートに対する思いと同じだと思う。
当時のリクルートの社是に、
「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」
というのがあった。
全社員のデスクにプレートとなって置かれていた。
この言葉は、昔も今も当時の社員の心の奥底に置かれているはずだ。
リクルート出身者に起業する人間が多いのも、この社是が影響しているのかもしれない。(ちなみにこの社是は事件後姿を消したように記憶している)
そして、江副さんが書いた「マネジャーに贈る20章」という独自のマネジメントロジックが、マネジャーの行動指針になっている。
これは、ある意味ドラッガーよりも現実的で、役に立つ言葉が多く未だに継承している人達は多い。
社業を通して、精神論も方法論も含めた価値観の植え込みがリクルート成長の原動力であり、人材育成こそが事業の根幹と江副さんは早い時期から気がついていたのだろう。
自分自身、江副さんから多くの言葉をいただいたわけではないが、その遺伝子を汲んだマネジャー達から多くの事を学んだ。
今、江副さんが亡くなって、リクルートの一つの時代が終わったのだと思う。
我々“卒業生”もその遺伝子を更に高めて、次世代に繋いでいく事が使命ではないかと感じている。
江副さん、本当にありがとうございました。
我々はあなたから大切なものをたくさんいただいた気がします。
心からご冥福をお祈りいたします。