あと2日で3月11日。
日本中この日の事を忘れてない。
週末のテレビでは震災を振返ったり被災地復興をレポートしている。
中には原発問題にフォーカスした番組もあるようだが、あれは一体何を言いたいのだろうか?
原発反対もわかるが今それをやって何を考えろというのか。
さて、震災から3年で我々は何が変わって何が変わっていないのだろう?
変わった事と言えば、政権が民主党から自民党に変わった。
円安が進み大企業の業績が急回復、1万円を越えられなかった株価が今では1万5千円前後。
有効求人倍率は0.6倍から1.03倍(14年1月)まで上昇。
日本経済は確実に好転している。
人々のマインドはどうだろう?
当時海外からも評価された「行儀の良さ」「相互協力」「我慢強さ」
これらは変わる事なく、日本人の民度の高さが評価されている。
日本人の自国を大切にする気持ちが強くなっている気がする。
自分の国を大切に思うことは当然であり、誇りに思える事は嬉しいことである。
とは言えバランスも必要であり節度ある姿勢も求められる。
そこは日本人の民度を信じるしかない。
さて、3年前と全く印象が変わった地域が「福島」であろう。
今や「福島」=原発事故=放射能汚染。
自分の両親の故郷である福島は海産物にも農作物にも恵まれた天然資源豊富な地だった。
幼い頃は田舎の山に遊び川で魚を獲り育てた野菜を食べていた。
都会ではできない遊び、都会では味わえない食べ物があった。
福島に住む従兄弟達は常に日に焼けて健康的に黒く、食べ物が美味しいから恰幅が良い。
そんな従兄弟達は遊びの先生だった。
夏休み半月滞在する田舎での遊びは山や川。
早朝、山に入りクヌギの木を蹴る。
するとカブトムシやクワガタがボタボタ落ちてくる。
川の上流まで歩き鮎を獲る、河原で焼いて食べる。
畑でできたスイカを川で冷やして割って食べる。
畑のキュウリや茄子をその場で食べる。
それらを教えてくれたのが従兄弟達だった。
今、福島で育っている子ども達はかつての従兄弟達のように育つのだろうか?
自分が経験した田舎の出来事をこれからの子ども達は経験できるのだろうか?
震災後に訪れる福島はあの頃と見た目では何も変わっていない。
川は澄み、畑にはキュウリ、茄子、スイカもできている。
しかし川で魚を獲ったりキュウリや茄子をもいだり、スイカを川で冷やす子ども達の姿を見る事はない。
どれだけ放射線検査をして異常なし、と言われてもそれを許す親はいないだろう。
親を責める事はできない、親なら千分の一の危険だって子どもには与えたくない。
「福島」は3年前に変わってしまったのだ。
そしてそれはこれから何年も変わらないのだ。
福島には逃げられない現実があり、その中で人々は生き続けている。
すぐに解決する策がないのだから、辛くても生き続けるしかないのだ。
理想論を並べて「反対」を叫んでも解決はできない。
原発を止めても福島はあの頃に戻る事はない。
震災の被害は津波だけではない。
風評という被害に遭っている人々も多くいる事を知っておいて欲しい。
だからと言って、福島のモノを無理やり食べてくれと言っているのではない。
そんな事をしても生産者は喜ばないだろう。
本当に美味しいと思って食べてくれる人に食べて欲しい。
モノ作りをする人なら当然そう思う。
問題はそういう人達をどう増やして行くのか?
それはビジネスの世界の人間がやるべき事なのだろう。
2011.3.11は終わっていない。