DNAとは、wikiによると” 地球上の多くの生物において遺伝情報の継承と発現を担う高分子生体物質"とある。
先週当社にリクルートにおいての大先輩Yさん(初面識)にお越しいただいていろいろとお話をする機会があった。
初めてお会いする先輩ではあったが、自分が大変お世話になったN氏(故人)とは大変近い存在の方。
自分のこれまでのビジネスや営業場面でのエピソードなどを話すとYさんが一言。
「君にはN氏やリクルートのDNAがちゃんと受け継がれているんだね」
大変嬉しく誇らしい言葉であった。
そして考えた。
そのDNA、つまり受け継いだものとは何であるのかを。
N氏はリクルートでも「伝説の営業マン」という異名をとるような方だった。
自分が独立してから親しく付き合わせていただいたのでサラリーマン時代のN氏をしらないのだが、営業同行は幾度かお願いしたものだ。
口数の少ないN氏はお客さんの前でもあまり口を開かず聞き役に徹する。
そして大切なところでボソッとポイントを突く。
初めて会ったお客さんでもN氏の魅力にハマって行く、そんな場面を幾度か目撃した。
そんなN氏の特徴は「依頼を断らない」ことだ。
お会いしたお客さんが「これに困ってます、Nさんなんとかしてもらえませんか?」と言われると「わかりました、私の方で何とかしましょう」と必ず受けてしまう。
周囲のスタッフはたまったものではない。
常にN氏から新しいビジネスが降って来るが、どのように始末して良いのかわからない案件も多い。
自分のその渦中に巻き込まれた事が何度かあった。
あるときは携帯電話の販売店をやらされたり、お茶屋さんをやらされたり、有名人の握手の手形取り?をやらされたり(ちなみに今なお福岡のヤフードームの前に飾られているそうだが)
お金になるかどうかは後回し、とにかく何でも引き受けるから仕事と呼べるかわからない案件が目白押しだった。
自分にはN氏と共に過ごした時間に多くの学びや気付きがあった。
良い事も悪い事も。
考えてみると、そんなN氏のビジネススタイルというのは昔のリクルートの仕事のスタイルだったのかも知れないと思う。
リクルート創業の江副さんは東大学内の就職新聞から事業を立ち上げ、転職市場活性化の為の媒体、アルバイト情報媒体、さらには住宅情報、旅行情報、中古車情報、大学・専門学校情報、最近では結婚式場情報、地域情報まで。
自らの強みやビジネスモデルを徹底的に活かして周辺分野を開拓していく。
しかしそれらは常にクライアントやユーザーのニーズから発生したものである。
最初はお金にならないような仕事も案件が増えて行けばビジネスにしていく“手法”のようなものがあった。
だから営業マンは常にアンテナを張ってクライアントと対峙していた。
クライアントの依頼を断らないということは暗黙の了解だったのかも知れない。
もちろん自社でできないこともある、その際には協力会社というリクルートOBが経営する会社に仕事を発注することもあった。
こうしたOBの会社というのが様々な分野に存在した。
そして皆さん優秀だった。
まさにDNAを継承した人達の集合体だったわけだ。
N氏のような当時のリクルートの営業マンはまさに「風呂敷を広げる」ことが仕事だったわけだ。
Yさんが言いたかった「DNA」とはこの「風呂敷広げ」営業を自分がいまだに実践している事を指したのかもしれ
ない。
しかし、広げた風呂敷は最後はちゃんと畳まなければビジネスにならない。
N氏は極端に畳む事が苦手な人だった。
リクルートのような周囲に優秀なスタッフがいてサポートしてくれる環境であれば良いが小さな組織ではそうは行かない。
結果的にN氏の会社は経営に行き詰まる。
幸い現在の当社には自分が広げた風呂敷をちゃんと畳む人がいてくれてビジネスになっている。
それにしても当時のリクルート営業マンは前向き。
大手企業=大きな金額の商売ができる
中小企業=社長と会えれば決済が早い
ニッチな業界=でかい可能性が眠ってる
クローズな業界=解き放てばビッグビジネス
てな感じで、マイナスな事はそっちのけでまずはやってみることが美徳だった。
当時の社是である「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」は一人一人に浸透していたのだろう。
我が身に振返り、当社にはそのような引き継ぐべきDNAが育っているのであろうか?
目には見えない魅力としてきちんと育っていれば良いのだが・・・。
DNAの話題で最後に思いついたのだが。
人間にとって一番継承するDNAとは親子なわけだが、つい最近親に相談をした事があった。
それは人として大変ベーシックな判断についてであった。
幼い頃、厳しくしつけられた事ではあったのだがあえて意見を聞いた。
「お前の本来あるべき思いを貫けば良い」
何とも単純ではあったが、それで得心がいった。
多くを語らずお互いのDNAで会話をした、そんな一瞬だった。