世の女性達は納得してるのかな?
最近「女性を活用しよう」というテーマの元にいろいろな施策が行なわれている事。
女性を“活用”って変じゃないのかな?
企業の管理職の何割かを女性にするように“義務”づけるとか、上場企業の取締役の女性比率が日本は低いから高くする目標を設定するとか。
何かと言えば「海外と比べて」と出て来る。
余計なお世話じゃないか?
働く女性が皆管理職になりたいのか?上場企業の取締役になる事が目標で企業に務めているのか?
元々欧米各国とそんな比率で比較することに何の意味があるのか?
本当に現在働く女性達は「女性であることで差別を受けている」のだろうか?
少なくても自分が社会人になってから今まで、職場で女性が男性よりも不当に差別されている場面を見た事がない。
リクルートグループにいれば、できる女性とたくさん出会う事になる。
女性トップセールスや女性マネジャーに“やられる”シーンはいくらでもあった。
それでも彼女達は会社に縛られていたり、無理やり出世させられたりはしていなかった。
仕事と生活を楽しんでいた。
自分の会社になってからも、職務上男女で差別することはなく、女性上司に男性社員が部下でつく人事は普通に行なわれている。
自分の会社だけではなく、周囲の中小企業で男女差別を見た事も聞いた事もない。
日本の中小企業率は99%以上であり、その中小企業ではおそらく同じような状況であろう。
恐らく大手企業の一部と官僚や政治の世界では未だに「男尊女卑」があるのであろう。
それについて問題提起をするのであれば大いにすれば良い。
しかし、そこに対してのメッセージとも思えない。
気になるのは「女性を活用しよう」というという言葉が違った意味を持っていると感じる事だ。
現在の日本の状況は「少子高齢化」が進んでいる。
将来の日本経済においては確実に労働力不足が問題になる。
そこで、できるだけ女性を職場に送り出したい。
不足する労働力を補填するために「女性」を活用するのだ。
一方で少子化で人口が減少する問題も顕在化しそうだ。
だから「女性は産んで働け」ということになる。
その為に社会資本として「託児施設の充実」は急務になっているわけだ。
「女性は子どもを産んで職場に戻れ!」そして「出世して会社と社会を支えろ!」と言われているようなものなのだ。
「国家総動員」を叫んでいたあの頃の思想と若干似てないか?
「女性の社会進出を支援します!男女で差別無く働ける環境づくり!」などという一見正当なスローガンにだまされてはいけない。
もちろん、女性が求める生き方を支援することは大賛成だ。
しかし、世の女性は出世の為に働いたり高い給料を求めて働いている人ばかりではない。
家庭と仕事のバランスをとってやって行きたい人もいるし、子育てが大変なので専業主婦でありたい人もいる。
特に日本人は古来から男性と女性とで役割りを分けてうまくやってきた。
それを「欧米ではこうだから」という理由で変える必要があるのであろうか?
なんでも欧米が正しいのだろうか?
日本独自の考え方や暮らし方があっても良いのではないか?
働きたい女性は働けば良い、出世したい人はそう頑張れば良い、プライベートと仕事のバランスをとって働きたい人はそうすれば良い、専業主婦として生きる事も良い、要は人それぞれの生き方や考え方を尊重するべきなのだ。
企業も考えるべきである。
女性だからという理由で職務上で差別するような企業はそのうち淘汰される。
高度成長が終わったマーケットでは「女性的目線のマーケティング」が求められている。
当然女性の活躍できる場面は増えている。
それでも、女性だからという理由でまともな仕事をさせない企業に将来はない。
大手企業であろうが政府であろうが同じ事が言えると思う。
女性の活用に「目標」を持たせて強制的に取組みをさせるなどという施策は全く女性のためになっていない。
「女性の活躍できる社会へ」などとあたかものスローガンほど気をつけた方が良い。
その「女性」の事を考えていない施策だから。
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