最近テレビでも雑誌でも新聞でも、ネットでも「ピケティ、ピケティ」言ってる。
半年くらい前かな、書店の平積みに大層分厚い真っ白な本があった。
タイトルは「21世紀の資本」
中身をちょっと覗いてみると、表やグラフがたくさん!
値段も6000円位したし、文章も難しいし自信がなくて購入を見送った。
今騒がれている本がそれと気がついたのは先週の日曜日。
再度書店を訪れると「21世紀の資本」の平積みは2段になり関連書籍が周りに並ぶ。
「こりゃ読まないわけにもいかんかな」と思い関連書籍の中でも分かりやすそうなものを選んだ。
「日本人のためのピケティ入門」サブキャッチがー60分でわかる『21世紀の資本』のポイントー
わかりやすそう!これなら読めそうだ。
早速自宅にて。
60分で読破、若干わかりにくい表現もあったけど、とりあえずは読んだ。
そしてピケティ氏の言いたいことは概ねわかった。
つまりだ。
r>gだ。
rとは資本による収益率。gとは国民所得の伸び率。
つまり、土地や株を持ってる人(資産)のお金の増え方と労働によって得られるお金の増え方では土地や株を持っている人の方がよりお金を増やせる。
こんな風に言ってるわけだ、なぜそれが今話題なのかというと。
学問としての資本主義(資本論的な)においては、高度に発達した資本主義においては資本の収益率と労働による収益の伸び率は均衡するとなっている。
それを、過去200年のデータに基づいて「やっぱり資本持ってる人の方が儲かるし今後も変わることなく儲かるよ」と結論付けた。
更に、各国の富の集中の割合も出しちゃった。
これに過剰に反応したのがアメリカの人々。
覚えてるかな?2年くらい前にウォールストリートで「俺たちは99%だ」ってプラカード掲げて公園を占拠したデモ、大騒ぎだったね。
あの99%の元はこのピケティさん。
本には「アメリカは1%の富裕層が国の20%の富を得ている」って書いたから。
だからみんな怒った。
「だったら1%の奴らの税金を上げて俺たちの社会保障を充実させろ!」
ていう話。
要は格差社会であることを明るみにしたピケティによってあのデモは起こったと言っても過言じゃないね。
で、彼はどんな政策をするべきと言ってるのか?
「格差是正のためにお金持ちの課税を強化するべき」
お金持ちに課税して所得を無理やり分配しようとゆわけだ。
更に、世界が共通した課税システムを持ち「利益隠し」をなくすべきと言っている。
まぁわかるよね。税金を払わなくても良いいわゆる「タックスヘブン」な地域があってそこにお金を貯めている人っているらしいし。
「金持ちの税金逃れは許さん!」ということだね。結構賛同できる。
さらにピケティさんは言う。この格差は親から子へ脈々と受け継がれるものであり富も受け継がれるが貧も受け継がれる。
だから富めるものは益々富み、貧しきものは延々と貧しくある。
夢も希望もなくなるような話。
だからこそ、富の再配分として課税制度の見直しだとおっしゃるわけだ。
ここはなんか怪しい。
資産を持ってるお金持ちが代々お金持ちであることは認めますよ!周りにもそういう人たくさん?いますから。
でもね、貧しい家に生まれtからって脈々と貧しさは続くか?
世界的に見るとわからないけど、日本においてはそう言いきれないんじゃないかな?
決して裕福とは言えない家に生まれても努力して、他人のやらないことやって資産を創り出した人もいる。
日本においてはそういう人ってけっこういる。
東京大学に入学した人の半分が世帯年収1000万円だとか言うけど、別に東大行くことで裕福になることが保証されるわけでもないしね。
特に教育について言えば「奨学金制度」が日本は充実しているので家がどうであれ本人次第で学歴はなんとでもなる。
日本において格差があるとすればそれは「正社員と非正規社員」の給与格差であろう。
日本企業における正社員とそれ以外の給与は随分と違う。
同じ職務を行っていても正社員の方が優遇されている。
「優遇」というのは社会保障関連の環境も含めてだ。
単に時給換算で考えるとさほどではなくても保険や年金や立場が保証される。
それはやはり大きい。
ちなみに非正規というのは派遣労働も入るが、現在の派遣労働は自発的に派遣労働を選んでいる人も少なくないので一括りにするのは危険だ。
非正規の問題は雇用者側が意図的に行う「アルバイト、パート、契約」の労働者だ。
昨今、これらの問題がクローズアップされその影響で店舗の閉鎖や休止という影響も出ている。
それでも未だにこのように都合よく使われている非正規雇用の人たちが声を上げられずに存在している。
そこには明らかに格差が存在していると思う、そしてそれは本人の意向ではない企業が創り出した格差だ。
これはピケティ氏が説く資本家と労働所得者の格差ではなく。
むしろ経営者の「モラル」が生み出す格差と言えるのでは?
日本における所得格差というのは世界的に見れば大きくないと言われている。
それでも隣の芝生は青く見えるもの。少しの差でも「格差」と見えるかもしれない。
おそらくこれからマスコミ各社でピケティを「格差社会を定義付けた人」として聖人化して、政権批判や世論の誘導に使うであろう。
そんなくだらない話ではないことを賢い人は事前に知っておくべきだ。
もっと視野の広い話であって、ましてや日本の格差を語っている理論ではないってことを。