我々世代であれば、その昔リクルートのBing創刊のテレビCMを覚えている人もいるはず。
背中が巻貝になっているビジネスマン。
「やりがい」をイメージして『人、動くとき!Bing』というキャッチコピー。
自分もまだ学生か社会人成り立てくらいだったと思う。
当時のリクルートの社風をそのままにしたようなCM。
それがきっかけになったわけでもなかろうが、当時は「仕事のやりがい」という言葉が結構話題になった。
採用ビデオのコンセプトでも「当社の仕事のやりがいを伝えたい」という採用担当者は多かった。
そんなリクエストに応えるために、自動車メーカーのエンジニア採用の映像を作るときには設計からモックアップ製作、営業企画、販売店へのプレゼンなどの一連の流れを現場で働く人のドキュメント映像で制作した。
「こんなんじゃ売れないよ!」「締め切りに間に合わないぞ、どうするつもりだ!」などという罵声やトラブルを見せる、そしてあれこれのトラブルを乗り越えて全てが完了した時の充実感「よくやったな!」や「ありがとう!」という働く人たちの心の動きをビジュアルにして「やりがい」を伝えてきた。
高度成長期が終わり停滞期が長引くことでこの「仕事のやりがい」という言葉が聞かれなくなった気がする。
ここらでもう一度「やりがい」を話題にしてみてはいかがだろうか?
「いやいや個人のやりがいなんて、価値観多様化の世の中で追及するなんて無理だよ」
なんて最初から諦めている昨今の風潮。
バカ言ってんじゃない!それは逃げだよ。
本当はみんな「やりがい」を求めているはずなんだ。
チームの目標を決めて役割分担をしたテトリスマネジメント。
今度は自分の心に耳を傾けてもらいたい。
「この仕事をして1、2年後、私はどんな風に変わっているのだろう?」
「経験はしたことないけど、こんな役割をしたら新しい自分を発見できるかもなぁ」
「成長できそうだな、チームも元気になりそうだよね。なんか楽しみだな」
「よくはわからなけど、自分が変わっていきそうな気がする、いや変われるよ」
そんな「わくわく」や「ドキドキ」を感じられる仕事を担えているだろうか?
「なんかあまり変わらないかな」「まぁ別に仕事に期待してないし」と思う人。
ちょっと上司と相談したほうが良いと思う。
「誰かが変えてくれるなら変わるのかもしれないなぁ」なんて考える人。
それは違う。
自分を変えるのは自分でしかない。
仕事や環境はそのための要素でしかない。
少し余談。
「就職難で自分がやりたい職種に就くことができなかった、だからやりがいなんて期待してないんだ」
そんな人もいるだろう。
「就職するときに自分のやりたいことを十分に考えることが大切だ」
そんな風にしたり顔で語る連中がいるが、そんなことはほとんどの学生にできるはずがない。
第一企業は学生のやりたいことを実現する場所ではない。
本意だろうが不本意だろうが社会人になった以上、社会で生きなければならないのだ。
社会で生きるとは「世の役に立つこと」だ。
世の役に立つということは「社会になくてはならない存在になる」ということだ。
どんなに小さい存在でも「なくてはならない存在」なのだ。
自動車もネジ一本で動かなくなる。
何年やっても社会との接点を感じられないと思っている人は自動車のネジ一本の価値も自分で見いだせていないということに等しい。
話をやりがいに戻す。
やりがいの感じられる仕事とはなんだろうか?
「自己の成長が期待できる」「周囲の役に立てて一体感が感じられる」そして「やってて楽しい!」
この3つだ。
自己の成長については個人の価値観が付いて回る。
周囲の役にたつという感覚は周囲に関心を持つことが大切になる。
楽しいという感性は成果にも直結する。
そして楽しいという感性を持てるのであれば「成長」もするであろうし「周囲への影響」も大いにあるであろう。
数年先の自分に「わくわく」や「ドキドキ」を感じられるということは「十分に楽しい」のだ。
仕事のやりがい=仕事が楽しい!
こんな単純な公式なのかもしれない。