会社を経営する立場になるにはいくつかのパターンがある。
代々続く”稼業”を継いで経営者(事業継承)になる。
勤務していた企業の都合(倒産、リストラ)によってやむおえず経営者(個人事業主)になる。
自ら”勤め人”の立場を辞退して起業し経営者(事業家)になる。
事業継承で経営者になる場合は幼い頃から「帝王学」を学んでいるケースも多く経営者としての立ち居振舞いが身についている人が多い。
「経営者というものはこうでなければならない」という理念がしっかりとしている方が多い。
それは代々受け継がれて来たもので、安易に変わるものではない。
図らずも経営者になった人や起業により経営者になった人は、そのような「教育」を受けたことがない。
自分はといえば、父親は物心ついた頃から経営者であった。
とはいえ、経営者としての心構えを学んだ覚えはない。
「人としての生き方」についてはかなり執拗に教えられた気がするが・・・。
独立する際に父親に相談したが「他人に迷惑かけないようにやれ」くらいのアドバイスだった。
経営者として必要なことを教えてもらったことがない。
他人をマネジメントすることを本格的に学んだことも実践したこともなかった。
いわゆる課長になる前に辞めてしまったからだ。
自分が”勤め人”をやめたのは「ミドルマネジャーができない!」と自らが判断したからだ。
なぜか?
ミドルマネジャーとは経営の「思い」をメンバーに伝え、その「思い」を「形(成果)」にする責任を負うことが任務であると理解している。
しかし、自分が勤めていた企業の経営層(トップマネジメント)の「思い」やシニアマネジメント(上位マネジャー)のやり方を理解することができなかった。
もちろん自身の稚拙さもあったと思う。
しかし「あんな大人になりたい!」と思うようなマネジメントに出会うことがなかったし、マネジメント自体に面白みを感じることができなかった。
むしろ「社会人としての成長があのマネジメントメンバーに加わることだとしたら、なんとつまらないものだろう」と感じてしまったのだ。
「自分のやりたいと思う仕事をやってみたい」
そう思ったのは27歳、入社5年目の秋だった。
当時の自分は営業マンとしてはそこそこの実績を積んでいたし、社外の人とのネットワークも多少はあった。
数少ない信頼する上司も「独立」を後押ししてくれた。
28歳の誕生月に独立し、以来経営者として22年目を迎える。
起業してからずっと頭から離れない課題。
「明日食うために何をするべきか?」
独立してからかなり長い間、食うや食わずの日々が続いた。
もちろん起業にあたりそれなりの準備や根回しもしてきた。
しかし、そんなものはすぐにそして簡単に崩壊した。
代理店業務の契約をしていても版元(発注元)の都合で利益は大きくブレる。
十分に準備をした新規事業計画は、最初の月からうまくいかずにすぐに頓挫する。
綿密な計画や準備などというものは起業時には大した意味を持たない。
勤め人時代の常識や理論は全く役に立たないのだ。
結局「明日食うために何をすべきか?」という超現実的な思考が習慣となる。
当時もすでにメンバーがいた。
自分以外の役員1名と社員1名。
メンバーマネジメントなんて発想もなかった。
現在動いている仕事をメンバーに任せて、新たな仕事を獲得するために役員2人が駆けずり回る。
それで毎月の給与をなんとか絞り出していた。
その後様々な事業を経て雑誌の広告代理店として実績を積み、なんとか会社としての程をなすようになった。
自分以外の役員はいなくなり社員が3人、計4名の体制が長く続く。
人事考課は見よう見まね、自分の主観で給与が決まる。
賞与は微々たるもの。
全員が営業をして制作をして事務作業を分担していた。
日々忙しくが資金に余裕はなく売上も増えない状態で数年が経過していく。
独立してすでに5年。
この頃、出版不況のあおりで広告代理店業全体が業績悪化し続けていた。
「このままでは社員共々路頭に迷うかもしれない、明日食うために何をするべきか?」
そんな時、縁があって「インターネットビジネス」に誘われる。
「このビジネスにかけてみる価値はあるかもしれない」
しかし、自分だけの力(資金的、制作能力的)ではできそうもない。
そこで、当時親しくしていた経営者を誘った。
彼は、以前勤めていた会社の先輩で数年前に起業しており経営者としても先輩であった。
2人で折半してインターネット専門の会社を立ち上げた。
しかし、立ち上げてすぐに2人は反目する。
先輩経営者にとって自分のビジネス(デザイン会社)の価値感とネットビジネスのそれがあまりにも違いすぎる。
紙媒体とは違う制作物の進行、契約書の前にまず仕事を始めてしまうスピード感、デザインそのものに対する評価の違い。
現在ネット業界では常識となっているビジネスの仕様が先輩には受け入れられなかった。
自分は「新しい業界では新しい価値観で動かすのは当然、郷に入ったら郷に従えだ」という発想。
先輩は「どんな業界であろうと自分のやり方は変えるつもりがない、正しいのは自分だ」という発想。
これではうまくいくはずがない。
設立3年が経過した時、社員6名がクーデターを起こし退職、それを機に2人の関係は終了する。
先輩が所有する株式をすべて買取り、100%自分の会社として再建に取り組むこととした。
それが現在の「株式会社パセリ」である。
この会社を経営することで、メンバーマネジメントを意識することになり経営者としての資質を問われることになる。
パセリ設立から18年、どのようにマネジメントを考え経営者としての自分を見つめて行ったのか?
次回に書いてみたい。