小学校の授業でドッジボールを禁止しようという動きがある。
生徒が参加したくない体育の授業ナンバーワンであるというのが理由。
いじめの温床になっているという話もある。
小学生の頃「なんでこんなことしなきゃいけないんだ?」とい事ってけっこうあった。
「自分が嫌だと感じるから、道理にかなわないから」という理由で禁止したりする事が良い事なのか?
世の中に理不尽な事など山ほどある。
中学校の頃、バスケの部活で先生が「練習中は水飲むな!」だったし、今は身体上の理由で禁止されている「うさぎ跳び」はやらされたし。
高校生の頃、音楽部だったのに合宿に行くと朝ランニングさせられた。
音楽部にランニングいるか?
大学になると、そういった理不尽から逃げる(避ける)ようになり、人付き合いも減るようになる。
理不尽な事を言わない相手とだけ過ごす日々、平和・・・。
しかし、社会に出ると途端に状況は変わる。
「名簿の上から順番に電話しろ!」
「名刺100枚もらうまで帰ってくるな!」
「今日は飛び込み何件したんだ?」
「俺は機嫌悪いんだ、そんな報告するんじゃない!」
自分が体験した理不尽。
その理不尽に耐えられずにやめた同期は数えられない程いる。
やめた人がその後どのような人生を歩んだかは知らない。
やめなかった数人のその後は知っている。
世の中は理不尽で溢れている。
自然災害。
そこに道理はあるのだろうか?
自分の知っているルールで動いていない社会。
正論で解決できない問題。
世界は所詮理不尽なものなのだ。
理不尽を取り込んで「それでも生きてやる」と思えるのか?
理不尽と向き合うのか、避けるのか?
答えは己の決断一つ。
嫌な事や見たくない事から避けてばかりでは生きられない。
きっちり自分で解決すること、それしかない。
理不尽を乗り越えた時にこそ見える景色というのもある。
自分にとっての不都合や嫌いな部分も含めての社会である。
「道理にあわない」ことだらけが社会である。
それを克服することで人間の幅が広がると思うのだが、いかがであろうか?
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