性善説というのは比較的よく使われるが、その対極の性悪説というのはあまり使われない。
性善説の意味は「人間は元々善の行動をするが、成長するうちに悪の心と行動を身につけてしまう」というもの。
一方の性悪説は「人間は元々悪の行動をするが、成長するうちに善の心と行動を身につける」というもの。
どちらが正しいのかわからないが、昨今の世の中を見ていると性悪説の方が正しいのかもしれないと思う。
某週刊誌は人間の悪の部分を世に晒すために日々奔走している。
巨悪を正すことではなくどうでも良い小さな悪を世に晒して喜んでいる。
悪を晒す方も晒される方も人間として成長していないようだから、やはり人間は生まれつきに「悪」なのか?
しかし、本当に性悪説が正しいとすると会社経営なんてできるもんじゃない。
社員の採用時に「こいつは基本的に悪いやつだ」と思って採用しなければならない。
新規の取引先に「どうせこの会社は我々を騙す」と警戒しなければならない。
もちろんそういうことが起きないように社員規定があり取引規定がある。
しかし、規定にないことは何をやっても良いということではないだろう。
最低限これをやると罰がありますよ、程度の話で社員も取引先もそんなに悪いことをすることを前提に規定を作っていない。
性悪説に基づき規定を作るとすると社内規定も取引規定も莫大な量になってしまいそれを作成するのも理解するのも困難なものになってしまう。
性悪説で企業が活動すれば「ブラック企業」になる。
規定の隙間をついて社員に無理を強いればそうなる。
しかし、そういう企業の末路は最近の状況を見てみればわかる。
最近は「ブラック」という言葉が一般化されて様々に使われている。
特に組織よりも個人が「ブラック化」するケースが増えている。
フリーダイヤルでのトラブルから公共機関や施設へのクレーム。
「ブラック消費者」
道理の通らない理由をつけて言いがかりをつける。
「どうしてくれるんだ!」「どう責任を取るんだ!」「なんとかしろ!」
罪もない受け手はたまったものではない。
最近起こった事件にあるように60歳を超えた大人が小学生に注意されたのに腹を立てて怪我をさせたなんてのもある。
「ブラック老人」
自分の理解ができないことや面子を潰されることに「異様な反応」を示し「ブラック化」する個人。
これらの事象を見ていると今の日本は本当に性悪説が正しく成長して善を学んでいない状態なのかと思ってしまう。
なんとも嫌な時代になったものだと嘆いてばかりもいられない。
企業経営者たちも「ブラック化」した個人と対峙する覚悟は必要だ。
自分の組織を守る、社員を守ることに真摯に向き合う必要がある。
少なくとも自分の組織においてそのような事案があれば徹底的に戦うつもりである。