この数日嫌なニュースが続く。
新幹線殺傷事件、目黒虐待死事件。
社会を震撼させるような事件。
両方とも他人事では済まされない、心が震えるような事件だ。
重大事件の後に残ったものは?
地下鉄サリン事件によって鉄道駅内及び街中から「ゴミ箱」がなくなった。
テロ防止のための措置として仕方無いと社会は許容した。
9.11アメリカ同時多発テロのよって飛行機の手荷物検査や入国検査が厳重になる。
機内に持ち込めるものが限定され、飛行場は混雑するようになったが安全の為と許容された。
企業内も例外ではない。
起業時、数名でやっていた時には「なりゆき」でやっていたことが人数が増えてきて何かの「事件」が起こることでルールが増えていく。
出社時間、有給申請からコピー用紙の補充やトイレの使用方法まで。
一度決めたルールは守らない人がいると糾弾される。
なぜ決められたのかは問題ではなく「ルール」が一人歩きする。
「こんなことまで?」と思うようなルールも存在する企業は多いだろう。
決められたルールは就業規則に定められることも多い。
就業規則というのは経営者と社員との覚書という要素もあるが、社内で問題が起こらないようにする一種の予防線の役割もあると思う。
ルールが多い事は安心を生むのだろうか?
どんなにルールを作っても「問題」や「事件」がなくなる事はない。
そうして何かが起こる度に新しいルールができてくる。
今回の事件を受けて「新幹線の手荷物検査」が始まるかもしれない。
新幹線ヘビーユーザーの自分にしてもれば「安全のためには仕方ない」とも思えるが「やれやれこれで直前購入ができなくなるな」という利便性を失うことになる。
それでも命に変える事はできない、ルールを受け入れることになるであろう。
確かにルールができればある程度の予防措置にはなるであろう。
しかし、子どもの話は別格である。
児童虐待の事件は報道を直視できないほどにショックだ。
こんな事は起こって欲しくない、人間として許せない行為である。
こういう事が起きないようにする予防措置はしっかり行うべきだ。
しかしどんなに予防しても同種の事件が起こる、それがなんとももどかしい。
どうにかして子どもの命を守ることはできないであろうか?
役所や警察に頼るだけではなく、地域や周辺の問題意識で早期発見や予防ができるのではないだろうか?
ルールに頼るのではなく、そういう事件を生まないようにする根本的解決が必要。
ルールを作るだけでは根本的な解決にはならない。