先週は両親を連れて福島のいわきに里帰り。
今回は弟も入れての親子水入らず4人旅。
何十年ぶりだろうなぁ、4人で外泊。
旧盆前日12日にいわき入り、湯本温泉で一泊。
温泉に入ってからの夕食そして呑み。
親父は80超えても元気だ、ハイボールを飲むペースは我々と変わらない。
お袋も入れて4人で昔話に花が咲くかと思ったが。
今の仕事の話や経営論を語る飲み会は当初の予定にはなかった。
缶ハイボールを数本空けて、いい気分になって爆寝。
親父もお袋もまだまだ元気、よかった。
翌日は朝9時に出発して四倉の叔父の家へ。
国道6号線を北へ進む。
震災後は毎年両親を連れてこの道を走っている。
去年ももちろん走っている、親父にしてみれば数十年走っている道だ。
「あれ、こんな道あったっけ?」「こんな建物去年あった?」
去年と街の雰囲気が変わっている。
「ここ曲がるんだよね?」「そうそう」「あれ?違くない?」
いつも曲がる道で曲がれない、風景が変わって道を間違ってしまった。
叔父の家に到着しても驚く、近所の風景が変わっている。
家が増えている、街になっている。
近所の叔母の家の周辺は去年とは全く違う景色が広がっていた。
去年まで稲が植えてあった場所が全く違うものになっている。
一面の田んぼが「団地」と「宅地」になっている。
家は建設中も含め10件以上あり、すっかり街だ。
弟と自分はすっかり呆気にとられる。
「なんだこれは?たった一年でこんな風に変わってしまうのか?」
叔父の家も叔母の家も子供の頃から来ている。
40年以上も同じ風景であった場所なのに、たった一年でこんなに変化してしまった。
まさに衝撃的な変化!
叔父や叔母に聞いてみるとこの一年でいわきの状況は変化しているらしい。
原発問題により南相馬の人たちはいわきに移住を進めいてるらしい。
宅地を確保するために農地を開拓して宅地化している。
国の助成金の支払いがはっきりしたことからこの動きが一気に進んだらしい。
それにしても凄まじいスピードで変化が起こっている。
街ができて、道が変わる、人の流れが変わる。
のんびりしていた生活のリズムが急に慌ただしくなった。
「なんか東京と変わらなくなってきたなぁ」
車の量も人の多さも、東京近郊の住宅エリアのようだ。
昔は良かった、のんびりしていて田舎の風情があった・・・
しかし、そこで生活している人たちにしてみたらどうだろうか?
住人が増えて町化していくことで変化が出てくる。
コンビニもできるだろう、ファミレスができるかもしれない、住民にとって便利な施設やサービスが増えるかもしれない。
高齢となった叔父や叔母にしてみれば、我々のノスタルジーなんかよりも日々の生活が便利になった方が何倍も良いに決まっている。
日本の地方都市は過疎化が止まらなく、行政のサービスも行き届かなくなっている。
それに比べれば、いわきは人が集まることで行政サービスも受けやすくなり、住みやすくなる。
人々の賑わいも車の渋滞も昔の高度成長期の日本のようだ、悪い事ばかりではないだろう。
田舎の風景が変わり町化していくことは寂しい事ではあるが、それは都会に住む者の言い分である。
地方で生活する人にはそれぞれの事情がある。
叔父や叔母達は複雑な表情をしていた、それは我々に対する気遣いなのか?
あれからの「フクシマ」は未だに変化し続けているのである。