日常生活の中で「当たり前」のものって結構ある。
日本に住んでいれば、電気や水道は基本的に不自由なく使える(一人暮らしでそれらを止めるぞ!って赤紙をもらった経験はみんなあるはず・・・)
朝起きて顔を洗おうと思って蛇口を捻っても水が出なかったらどうだろう?
「あれ、断水か?聞いてないぞ!」と驚くし「お金支払い忘れたか?」などと寝起きの頭をフル稼働させるだろう。
いわゆるインフラもので急な停止には驚きと戸惑い、その後怒りや恐怖の感情まで生まれるものである。
自分などは朝刊がポストに入っていなかっただけで相当の動揺をする。
「休刊日か?いや月曜日じゃないしありえない、忘れられたか!」
速攻で新聞店に電話して配達を頼む。
気まずそうに届けてくれた新聞屋さんには優しくではあるが「気をつけてくださいよ!」としっかりと注意をする。
毎日当然にあるものが無いと嫌なものである。
それは交通社会でも当然。
本日、急遽の墓参りを決行、朝9時に車で東京を出て福島県いわき市のお墓にお参りに行った。
日曜の朝はほとんど渋滞もなく、約2時間でいわきICまで到着。
最近の車はオートドライブもあり長距離運転は楽になった。
それに料金もETCだから入口出口もスイスイ!
で、このETCが今回の主役になる。
墓参りを終えて親戚のおばさんやおじさんとの交流も済ませ、四倉の道の駅で買い物も済ませて、さて高速で帰ろうかという流れ。
この場所から帰るのには常磐高速の四倉ICが近い。
来るときは大きなICのいわきICを使ったがやはり近い方が良いからね。
いつも通りにETCレーンから入場する。
普通であればETCが反応してバーが上がる・・・
上がらない!
「ん!なぜ?」
幸い短いバーだったので車に当たることはないが反応していない!
するとバーの横のスピーカーから何やら声がする。
「ETCカード入ってますか?」
「入ってますよ!だって来るときには問題なかったんだから」
「そうですか、ETCカードを1回抜いてから、またいれてもらえますか?」
「はぁ?カード?どこに入ってたっけ?」
こういうときは自分でもカードがどこに入っていたかを忘れる。
「では、通行券出しますので出口で(一般)から出てください」
「はぁ?なぜ?ETCカードに問題ないでしょ?」
「すいません、お願いします」
しぶしぶ通行券を受け取って走り出す。
しかし、すぐに不安な気持ちになる。
「もしかするとカードの期限が切れているのか?」
「カードの磁気異常か?」
「でも来るときには何の問題もなかった」
色々と考えが巡る。
「待てよ、常磐高速は一般出口で出るにしてもそのあとの首都高はどうなる?もしもカードの問題があればまたバーが上がらないぞ」
不安な気持ちは募り、途中のパーキングでカードを抜いて日付を確認したり、ETCリーダーで何度か読み込ませたり。
一応異常はなさそうだ。
結局東京の出口で係員の人に事情を話したら「カードで通行したことにしますね!」と割引もしてもらってカードに異常がないことを確認。
これで安心して首都高に入れる!
まさか、ETCカードに問題がないのに入れないことがあるなんて!
当たり前にできることが急にできなくなる不安というのは底が深い。
1回のトラブルがそれ以降トラウマのように不安が押し寄せる。
大げさかもしれないけど、自分の身に置き換えるとどう?
毎日通勤で使っているスイカやパスモが残高もあるし磁気異常もないのに急に入れなくなる、それも機械のせいで。
そんな経験したら電子改札に不安を抱くでしょ?
生活全般、インフラに関わる事ってできて当たり前、できなかったら大騒ぎ。
それ故、それらの仕事に携わる人々は大変だよね、感謝します。
派手さはないけど、しっかり確実にやっていただくことが大切な仕事ってやっぱりすごいよね。
色々と感じる墓参りであった。