痛ましい事件がまた起こった。
子どもたちが犠牲になる事件や事故、まともに見ることができない。
罪もない子どもたち、いつも通りの日常だったはずなのに。
被害者や家族の思いを想像すると、身を引き裂かれる思いだ。
「決して他人ごとではない」こういう事件のたびにそう思う。
大人でも子どもでも、理不尽に命を絶たれる理由なんてない、絶対にあってはならない。
誤解を恐れずに言えば、こういう事件を起こす人は自分の気持ちを他者に伝えることが苦手なようである。
もっと他人と共感していれば、そこまでの犯罪にはならなかったのかもしれない。
自らの気持ちを他者に伝えるというのは、日常の社会でも大切な事だと思う。
「そんなこと言うまでもない、分かっているはずだ」
「もっと話を聞きたいのに、声をかけてくれない」
そんなことを思うことはないだろうか?
周りはわかってくれているはず、周りは私を気にしてくれない。
どちらも唯我独尊、自分勝手な思い込みである。
世の中は情報化社会真っ盛りである。
溢れるような情報の量を処理するのも大変、ましてや仕事に関する情報量やスピードはどんどん増している。
経営に関すればまさに情報化社会の真っ只中にいる感じだ。
だからこそ自分はできるだけ情報を皆に開示して、自分だけに溜め込まないようにしている。
しかし伝える内容はどうしても浅くなってしまう。
深い情報は興味を持ってくれる人にこそ伝えたい。
最近は当社グループも色々と事業が広がり、会社が違えば事業はまるで違うこともある。
それぞれ疎遠になることもわかる。
しかし、自分の興味や関心は組織を超えたところにあってもおかしくはない。
ましてや、新たに始まるビジネスの卵について興味関心を持つことは悪いことではない。
にも関わらず、そういった新しい情報に首を突っ込もうとする姿を見ない。
「情報が入ってこない」などといじけている姿を見ることはあるが。
情報は自ら掴みに行くべきである。
「もっと知りたい!」「自分の気持ちを伝えたい!」のであれば声に出すべきだ。
自ら動くこともなく最新の情報を手に入れて自分の意見を反映させようなんてできるはずもない。
最近は身近な情報端末が氾濫している。
自らが動くことなく、なんでも情報が入る。
自分の声もSNSで発信することができる。
言葉を発しなくても情報の出入りが手軽にできるようになっている。
わかった気になり、伝えた気になっている。
言葉に乗せて伝えることが減っている。
伝えたい相手にはしっかりと言葉を発してやり取りをするべきだ。
そうしなければ本当の気持ちは伝わらない。
そういう力を持てれば、痛ましい事件も少しは減るかもしれない。
被害者の方々へ心から哀悼の意を表します。