いきなり、下からの揺れが始まった。
「これは半端じゃないのが来る!」
そう思ったら、あっという間に揺れが激しくなった。
経理棚を抑えながら、「机の下に隠れて!」「出口確保!」と叫ぶ。
パソコンが机の上から落ちる。棚が倒れる。叫び声。
揺れが長い。地震とはこんなにも長かっただろうか。
開けてある避難口の扉から外が見える。
紀尾井町ビルが大きくしなっている。
「ついに来た!首都大震災だ」そう思った。
ビルの倒壊だけはなんとか避けて欲しいと願う。
長い揺れが収まる。
呆然とする社内。
すぐにラジオを付ける。
メンバーに「外出しているメンバーに連絡を取るように」と指示をする。
同時に、「全員外に出る準備をして、貴重品だけを持って」と指示。
外から戻ったメンバーが「やばいです、非常階段の壁が崩れてる」との情報。
「全員ビルの外に避難するように!」
非常階段を使って外に出る。
途中、壁が崩れているのが見える。
外に出ると、人があふれている。
新宿通りに人が。
電話は全く通じない。
かろうじて、メールが何回かに1回繋がる。
数名の無事が確認される。
しかし、まだ数名との連絡がとれない。
大きな余震が起こる。
紀尾井町ビルが大きく揺れる。
周りでは座り込む人達も。
連絡のとれなかった数名が戻って来る。よかった!抱き合い喜ぶ。
数名が地下鉄に閉じ込められていることがわかる。
相変わらず電話が繋がらず、ワンセグテレビで情報を得る。
すると、お台場で火事、足立で火事、宮城で津波の情報。
家族やメンバーに対する不安が募る。
余震も落ち着き、社内へ戻る。
FMラジオは環境音楽になっている。AMに変えてNHKを聞く。
ワンセグテレビとラジオで情報を得る。
都内でも天井が崩落してけが人が出ている模様。
首都圏の交通機関はすべて麻痺。
時間は午後5時を過ぎている。
連絡のとれなかったメンバーが少しずつ戻って来る。
皆、交通機関がなく、歩いて帰社してくる。
このまま交通機関が復旧しなければ、対策を考える必要がある。
会社からの距離が10キロ以内の社員が数名いる。
グループを作り、その社員宅に宿泊することとする。
準備ができ次第、グループごとに徒歩で出発をする。
最後の連絡がとれなかった社員が戻ってきた。6時過ぎ。
残っていたマネジャーと共に全員会社を出て、帰路につく。
それぞれのグループは概ね2時間半で無事到着の連絡が入る。
自分も2時間半で帰宅。
テレビを見て、この震災の凄まじさを理解する。
疲れて、早々に就寝。
翌日、時間が経つにつれて被害の大きさが伝わって来る。
そこには我々が体験した恐怖以上の恐ろしさがあった。
地震から2日以上経っても被害の全容がわかっていない。
自分の親族もいわき市にいる。
無事は確認できたが、被害状況も必要な物もまったくわからない。
もちろん行く事もできない。
今は状況を見守ることしかできない。
そして、これからの事を考える。
今は何も出来ないが、これから被災した人達のために出来る事を考えたい。
我々は、食品も衣類も提供できないが、情報産業、人材事業だからこそできることもあると思う。
具体的にはまだはっきりとは言えないが、被災地域の方々のこれからの生活に役に立つサービスを提供していきたいと思う。
未曾有の災害に立ち向かい、再生していくためには一人一人、一社一社が何かを始めることが必要なのだと思う。
出来る事を一歩一歩やっていくしかないのであろう。
被災した皆さんには心からお見舞いを申し上げたい。一緒に頑張っていきましょう。