今日、8月31日は小中学生にとっては夏休みの最終日ですよね。
やはり今でも宿題が終わらなくて焦っているのでしょうかね?
我が家の娘は宿題が少ないのか、以外にあっさりと終わってましたね。
夏休みの宿題といえば絵日記、ドリル、読書感想文、そして自由研究でしょう。
この自由研究がくせ者で、毎年テーマ選びが大変でしたね。
そんな自由研究の中で今でも覚えているテーマが、「郷土の歴史探究」でした。
恐らく小学校の4年生のときだったと思うのですが、とても頑張ったのを覚えています。
当時、私は東京都足立区に住んでいたのですが、足立区の歴史を随分と研究し、年表にしたのを覚えています。
小学生の割には本格的に調べました、区役所に行って昔の資料を調べたり、地元に古くから住んでいるお年寄りに昔の様子を聞いたりして、一応取材を行ったのを覚えています。
当時は一つの事に熱中するタイプだったので、相当入れ込んでいたようです。
結果、教室の外に年表が張り出されたりしたので、一定の評価はされたのでしょうかね。
当時の事がきっかけというわけではないのでしょうが、今でも地理的な歴史は好きなんです。
中でも自分に関係する地理の歴史は好きで、いまでもいろいろと調べます。
例えば、足立区を含む東京23区という体制になったのは、実はそんなに古くないのですよね。
戦後2年経った昭和22年にそれまで35区だった東京都特別区が22区に再編、その後すぐに練馬区が板橋区から独立して23区になったそうです。
東京35区。戦前、戦中は35の区があったそうです。じゃあどんな区があったのでしょうか?
現在当社がある千代田区は麹町区と神田区となっていました。現在の中央区は日本橋区と京橋区、などなど。
麻布区や赤坂区まであったのですから、昔の区名はなんか情緒があったような気がしますよね。
なぜ、35区から23区になったかというと戦争で都内の人口が急減して、各区の財政が厳しくなったのが大きな理由だそうです。
古くは、東京都がまだ東京府だった1878年ころ、概ね現在の山手線の中の地区だけを区として15区が設けられていたそうですから、さかのぼれば更に面白そうな事がたくさんありますよね。
また、東京都の歴史も面白いですよ。江戸から東京都までの変遷で何が行われていったか。
ペリー来航による砲台の建設、江戸周辺の埋め立て、地下通路建設、関東大震災後の都市計画、ちょっと覗いてみたくなりませんか?
今、私たちが何気なく使っている地名や駅名にも思わぬ由来があったりして。
例えば、地下鉄半蔵門線の半蔵門駅。ここは元々服部半蔵の末裔のお屋敷跡なので、半蔵門という名前になったとか。
真偽は定かではありませんが、江戸時代の古地図などを見ますと確かに今の半蔵門駅のあたりに服部というお屋敷が存在します。
もし今、夏休みの自由研究という宿題を出されたら、東京の歴史をじっくりと裏側まで調べてみたいですね。
でもそんなの私以外はあまり興味ないですかね?いやそんなもんですよね、自由研究って。