仕事というのは一人でやることもあれば、たくさんの人が関わることもあるもので。
いずれにしても、自分以外の人間と関わらないと仕事というのは完結しないことが多い。
ここに営業マンS君を登場させる。
S君は某広告会社に新卒で入社した、ちょっと生意気な営業マン。
入社当時は、なかなか上手く営業が出来ずに悩んではいたが、半年もするとそこそこ売れてくるようになり、持ち前の生意気が出て来る。
入社2年目にもなると生意気度合いに拍車がかかり、周囲に対する態度にも変化が出て来る。
特にスタッフ部門や制作部門に対して生意気な態度を取る事が増えていった。
そんなS君の態度に対しての周囲の反応は少しずつ変化してきていた。
そんな2年目の秋に、S君にある仕事が舞い込んで来る。
それまで手がけた事がないような「でかい仕事」。
S君一人で対応できるような仕事ではない。
上司、スタッフ、制作マンなど、多くの人達の協力がなくては絶対にやりきれない。
S君は、その「でかい仕事」のネタを抱えて上司に報告をする。
すると上司は「そんな大きな案件をなぜ今まで報告しなかった?」と憤慨している様子。
良く取って来た!と褒められると思って報告に行ったS君、思わぬお叱りに「仕事してきてしかられる筋合いじゃないでしょ!」と反撃。
そんなS君の反撃を聞くや聞かずで、上司はS君を連れて役員室へ。
「Sがこんな案件を持ってきました、報告が遅れて申し訳ありません」と上司が役員に頭を下げる。
S君、仕方なく一緒に頭を下げる。
企画書を一瞥した役員「おいおい、こんな案件Sにできると思っているのか?」
S君たまらず「できます!やらせてください!」
上司「自分が責任持ってSにやらせます、お願いします」
役員「うーん、お前がそう言うならなぁ、しっかりやってくれよ、頼むぞ」
上司、S君「はい!」
そんなやりとりがあり、S君にとっては未経験の「でかい仕事」を仕切る事に。
すべての段取りを上司と相談し終わった際に、上司が一言「いいかS、次工程はお客様という言葉がある。それを肝に銘じておけ!」と言われる。
「まぁそんなもんかなぁ」程度に聞いていたS君は、それから関連しそうな各部署のリーダー達に挨拶と協力のお願いに行く。
しかし、どのリーダーもこの「でかい仕事」を喜んでくれない。
今までにない「でかい、面白い仕事」なのに、誰も喜んで協力してくれない。
皆、仕方なく、場合によっては面倒くさそうに対応するのみである。
S君「何だ皆!せっかくオレが取って来たでかい仕事なのに、ビジネスの感性が低いんじゃないの?」と周囲の感性のせいにする。
その後S君は、すべての関係部署の協力は得られ一応の成功は納められたが、その成果は全社に認められる事なく、大いなる満足感を得る事はできなかった。
S君の問題点は何だったんだろうか?
一応仕事は完結したのだから、問題はないという考え方もあるだろう。
しかし、S君は仕事の本当の面白さや大切さ、達成した満足感も得られていない、それは問題である。
せっかくの大きな面白い仕事。周りの人からの積極的な協力も得られずに、評価もされなかった理由は何だったんだろうか?
上司の一言「次工程はお客様」にヒントはある。
例えば営業マンは、お客さんから申し込みをもらえばそれで仕事は終了と思っていないであろうか?
請求書の発行、入金管理、制作物の進行などを滞りなく進める人達がいる。
そこに携わっている人達の立場になったり、普通に行われている事に感謝したりすることはあるだろうか?
「次工程はお客様」とは、自分のやった仕事の次工程を担う人達をお客様として考え、大切に、そして感謝の気持ちを持って接するという事。
S君に限って言えばその気持ちが足りなかった。「営業の自分が取って来た仕事を周りがきちんと処理することは当たり前だ」くらいに思っていたのであろう。それでは周りからは認められない。
次工程を正しく知り、それを担う人達の気持ちや立場を理解すれば、自分自身の仕事の意味や位置づけをより一層理解できるようになると思うがいかがか?
自分にとって大きくて面白い仕事でも、次工程に携わる人達が同じ感性で捉えているとは限らない。
お客様に説明する気持ちで、その仕事の大切さや意味や自分にとっての思い入れをきちんと説明しなければいけない。
そうする事で価値観が共有され、一緒に仕事をすることに喜び、完成したときの喜びが共有ができる。
その達成感を共有することが、仕事を通しての「感動」を産む。
仕事を通して感動を共有した組織は、より大きな感動を味わう為に一人一人がより一層の努力を行う。
そのことが、組織の成長に繋がる。
せっかく仕事をするのであれば、感動と成長を味わえる組織でやった方が楽しいはず。
自分はそんな組織にしたいと思っている。
だから、今もこの「次工程はお客様」という言葉を肝に銘じている。