先週木曜に会社のランニング部で武道館から靖国神社方面に走っていた時、靖国神社の御霊祭りが賑わっていた。
そういえば、お盆。
東京では7月13日からがお盆だったなぁ。
我家は昔から田舎に合わせてお盆と言えば、旧盆(8月13日)なのでどうも新盆はピンとこない。
まぁ、お盆だから故人を懐かしもうかと思う。
自分の人生に多大なる影響を与えたN氏を思い出してみた。
もう、亡くなって3年以上経つ。通夜にも告別式にも行けなかったけど。
N氏は、R社では伝説の営業マンの一人。
自分がやんちゃで独立した時に一番お世話になった人。
飲んだくれで、銀座大好きで、人懐っこい人だった。
借りた金は返さなくて、いつも財布に100万円くらい入ってたなぁ。
豪快な人だった。
会社やめて行くところのない自分に机と電話を貸してくれて、仕事まで紹介してくれた。
まぁ、仕事とはいえノーギャラが多くて、面倒な後始末も多かったけど。
会社では、昼頃ふらっと顔を出して経理のお姉さんに何か話して4時頃から飲みに行っちゃう。
そこそこの時間になって自分の仕事が一段落した頃「おい、お前ちょっと顔貸せ」なんて言いながら銀座に繰り出す。
ほいほい付いて行くと、クラブのはしご。
最後は寿司で締めて朝の4時。
「車代だ」なんて言いながら自分に2万円渡して、去って行く。
なんか、かっこ良かった。そりゃそうだ、銀座で奢ってもらって車代までゴチだ。カッコイイと思わないわけない。
飯は本当に良くご馳走になった。
若造が一応気を使って「払います」なんて言おうものなら「馬鹿野郎、恥かかすな!」てなもんで自分には絶対に払わせなかったな。
いつもは飲んだくれのおやじだったが、一度だけ同行をお願いした事があった。
ある出版社に呼ばれて、新雑誌の代理業務(媒体代理ね!)を受けるか否かの話をしに行った時。
席に着いた先方(たぶんえらい役員だったな)は、最初は怪訝そうに我々を見る。(まぁいつもそんなもんだ)
特にNさんは営業マン的(いやいやビジネスマン的)な雰囲気は全くなし。
先方が今回の依頼内容を話し終わり、我々が受けるか否かの話を返す段になるタイミングで、N氏はそっと話し始める。
ソフトに、それでいて核心の部分に入り込む。
話に引きづり込まれる先方。いつの間にか広告の話じゃなくて経営全般の話になってた。
最後には先方役員はN氏の手を握りながら「当社をよろしくお願いします!」なんて目がうるうるしてたよ。
隣でそれを見ていた自分は「これは何だ!営業じゃない、洗脳だ!」と思った。
R時代には名だたる大手企業が彼の話術と営業テクニックによって手玉(失礼!)に取られていたんだな、と納得した。
昔はいたんだよ、こんな営業マンが。そして自分はそれを体感したんだ。
震えたよ。驚いた。自分が小さく見えた。自分はそこそこ出来ると思ってたけど、そんなの幼稚なママゴトだ。
営業は深い。芸術だ。作品なんだ。
そう感じさせるには充分な体験だった。
と、ここで終われば美談だ。
ここからが大変。
その気になった出版社は、N氏にすべてを依頼しようとする。
しかし、当時のN氏の会社はそんな大きな話を受けるだけのキャパシティはない。
だからすべてが中途半端になってしまう。
結局、自分達が出来るところは引き受けて他の大きな話は丁重にお断りした。
やはり身の丈以上の仕事を安請け合いするものではない。
当の本人は自分が話した内容も忘れて、相変わらず昼間から飲んだくれている。
やれやれである。
しかし、自分は本当に感謝している。
確かにお金も貸した(もちろん返ってこない)。
でも、沢山の経験をさせてもらえたし、普通は会えないような人にも沢山会えた(名前は言えないけどね!)。
そして、今の事業の基盤になるような仕事を紹介してくれた。
つまり「N氏と出会えていなければ今の自分はない」のである。
いくら感謝してもしたりないくらいなのだ。
人は生きていれば、何人かの恩人に出会うだろう。
N氏は自分にとっては間違いなくその「恩人」の一人である。
多くの事を学び、体験させてもらった。
思えば、N氏が自分にいろいろな事を伝えてくれた年齢に今自分が達している。
今の自分は、あの頃の彼ほどに大きくなっているのだろうか?
それは、数年後に誰かが評価してくれるのかもしれない。
まぁ、他人の評価なんて元々あまり気にはしない性分だがね。
あの頃のN氏も他人の評価なんて、たいして気にはしてなかったのかな?
自分は気が小さいからあそこまで豪快には生きられんなぁ、多分。
今日、夕刻の涼しくなってきた頃を見計らって地元を軽くランニング。
路地でステテコ姿のおやじさんが、お盆の送り火をゆらゆらと焚いていた。
あぁ、新盆が終わったんだなぁ。