最近天気が不安定だ。
先週もなんだかんだでさぼってしまったランニング。
今週こそはと思い、絶対走る覚悟の日曜日。
午後から空はどんよりと暗くなり、新宿の高層ビルが消えたな、と思ったらいきなりの雷鳴。
大粒の雨と共に轟音。
目の前で稲妻が走る様は、恐ろしさと神秘さの狭間。
四方八方で稲妻が走る、まさにパノラマ状態。
そんなものに興奮しているのもおかしいが、東京でこんな体験も珍しい。
先週の金曜日かな、朝の番組で天気予報士が天気図を指しながら「日本は今、亜熱帯の気圧配置です」と興奮気味に話していたのが思い出される。
亜熱帯かぁ、それならば仕方がない。
亜熱帯のスコールはザッと降って、サッと晴れる。
そう楽観視し、そこそこ雨が上がった頃、いつものランニングシューズ。
強い雨で落とされた若葉を踏みながらのスタート。
走り出して1キロも行った頃だろうか、前の空にいきなり稲妻。
四方に走る稲妻が雲の切れ間から走って来た。
おいおい、まだそこにいたのかよ。
まぁ走り出したのだから止まらない(青春だぁ!)
いつもとは違うコースを湿気を一杯に感じながら走る。
案の定雨の洗礼を受けることになるのだが、後悔はしていない。
雨にも負けずに走りきってやったぜ!(宮沢賢治か!)
雨に打たれながら、暑さにめげそうになりながら思い浮かんだのが、表題の言葉。
朝の連ドラで主人公の祖母が言った台詞。
「ちょっと無理したり、我慢した方が人間はシャンとするんだよ!」
そうだよなぁ、つくづく思ったんだ。
走りながら「ああ、今俺は無理してる、雨を我慢してる」と思い、シャンとできるのかな、などと思っていた。
世は不安定だ。
震災の影響もある。最近のアメリカも不安定だ、経済は確実にヤバい。日本の政治は不安定だらけだ。
そんでもって、天気も不安定と来る。
不安定なんだからおとなしくじっとしている方が良いだろう、と言う人もいる。
それができない。
不安定な時ほどもがく、あえてもがくんだ。
その方が安定した時の収まりが良い。
いつの頃からだろうか?そんな風に生きるようになっている。
世が不安定なら、自分の身の回りくらい安定させたいと思うのが人の定石。
しかし、あえての不安定を選ぶのは何故か?
安定では成長できない、そういう恐怖心がある。
不安定な中でもがく、ちょっと無理したり我慢したり、そして頑張ったりするから何かが生まれる。
そんな経験をしてきた。
だから安定に安穏とできないのかもしれない。
習性だね、仕方がない、そうなっているんだ。
自分を追い込む事、忘れちゃいけない。
また一つ自分が成長できている事を楽しみにしている。
そう言えば、走っている時に沢山の落ち葉を踏んでいたが、枯れ葉が多かった。
例年、この時期に街路樹に枯れ葉はないはずだが、これが環境的に悪い印でない事を祈る。
震災以来、国民は不安定感に相当のイライラ感を募らせている。
そちらの方はそろそろもがく事をやめて、決断する時期だと思うが、どうだろう?
それとも決断したくない、おいしい果実があるのだろうか?
自己の欲を我慢することも人間としてシャンとする一助となると思うがいかがだろう?