昨日は当社メンバーの結婚式。
本当に久しぶりで、どんなあいさつをしたかも定かでないが、良いお式でした。
お二人の末永いお幸せをお祈りいたします。
さて、このような式で必ずと言って登場するのが、二人の生い立ちの画像や動画。
これが、なんとも参加者の目頭を熱くする。
赤ちゃんの頃はこんなだったんだ、かわいかったね(今はどうだ?)
子どもの頃とかわってないなぁ、とか。
そして、今がある。
そこまでのストーリーをいろいろと想像させられる。
視聴者は、自分の想像力を目一杯使って、感動し共感する。
みんな、ストーリーが好きなんだ。
ストーリー好きといえば。
最近、いろいろな物がストーリーによって売れたり売れなかったりするようだ。
元々、ブランド品なんていうのは、そのブランドの持っているストーリーで売れているようなところがある。
品質が同じようであれば、ストーリーの濃厚なブランドを選ぶ。
多少値段に差があっても、それを凌ぐストーリーがあれば。
高額なものほど、その傾向が強い気がする。
多少の値段の違いなら、輸入物のテレビよりも国産のテレビを買うでしょ?
東芝やシャープやソニー、パナソニックといった企業のブランド力(ストーリー)は結構理解している。
だから安心、信頼している。どこぞのわからないメーカーのストーリーはがわからない。
だから購入しないのではなかろうか?
まぁ、それも今後どうなるかわからないけどね。
消費者向けの商品ばかりではない、B to Bの世界でもそうだ。
その会社にストーリーはあるのか?
商品にストーリーはのあるか?
それがイコール「企業に真の理念はあるのか?」という問になっている。
結果、理念無き企業もしくは理念が絵空事のような企業や商品は売れなくなってくる。
バブル崩壊後、価格は安くが共通語で、安くなければ売れないという時代が続いてきた。
しかし、そろそろ変わっていくのだろう。
当社の取引先も「値段はどこにも負けません」だけを主張する企業にはお引取り願っている。
多くの予算をかけられない中小企業では確かに値段も大切だが、理念に共感できる、一緒に戦えるパートナーがほしいのだ。
一緒に戦うパートナーにはそれなりの料金が発生するのは当たり前である。
物の価格(サービスもね)には適正価格がある、それも当たり前だ。
今後は、理念への共感によるパートナーシップが経済の中心になると言ったら大げさかな?
それにしても、
3月11日の震災による津波被害、さらに原発問題、社会問題化した節電。
これらの事象を経て、日本人は自らの消費行動を再定義したような気がする。
自分だけが得するような考えはどうなんだ?
それは恥ずべき思考ではないのか?
「被災した人」「困っている人」を助けるのであれば、多少高くても、それらの人々の物を購入しようではないか。
そういう考え方が広がりだしている。
福島産の桃や米を積極的に買ってくれる映像がニュース番組で流れると、本当にうれしくなる。
社内のライトを減らして、空調温度を28度に規制しても誰も文句言わない(本当は暑いけど、西日がきついよ!)
今、被災したり、避難している人の雇用問題が取り上げられるようになってきた。
震災で仕事を失った人、強制的に避難させられて自分の仕事を続けることができなくなった人、就職ができなくなった人。
そのような人達の新しいステージを用意することはできないのであろうか?
もう、大きな組織だけには頼っていられない。
以前から自分が主張している通り、今こそ我々が何かをやるべき気がする。
小さな力かも知れないが、何もしないよりはましだ。まずは動こう。
ひとりひとりの新しいストーリーを創るために。