一人のランナーがいる。
決められた場所に、決められた時間でゴールしなければならない目標がある。
しかし、コースは一般の道。ランニングコースでも大会でもない。
いろいろな人が歩き、いろいろな気持ちで過ごしている。
そんな道をランナーは走る。自らの目標の為に。
途中、ベビーカーを押す母親がいる。
ランナーは邪魔だ、と言わんばかりに母親にぶつかり、黙って過ぎ去る。
途中、3歳の子供がおぼつかない足取りで歩いている。
その真横をランナーは速度も落とさず走り去る。子供は驚いて転び、泣きだす。
ランナーはただ必死に、脇目も振らずに走り続ける。自分の為だけに。
ついにゴールしたランナー。目標の時間をわずかに超えてしまった。
その時、ランナーはこう言った「あの時ベビーカーと子供さえいなければ・・・」。
超えてしまった目標は誰かに決められたものではない。
ランナー自らが勝手に決めたものだ。
自らが勝手に決めた目標や理想の為に、周りの弱き人々を押しのけ犠牲にし、あたかも目標を達成し、理想の自分になっていると錯覚し、周囲に誇示する。
妄想的な自己愛症候群?
人は誰でも現実と理想の間でもがき、苦しむ
理想の形に己を変える事が苦しいからだ。
それでも、耐えて努力し、手に入れるからこそ理想は尊い。
しかし、自らを省みることなく周囲を犠牲にし、うそを重ねて理想の形を偽ったとしたら。
それは虚像でしかない。
虚像の理想形をどんなに誇示しても、周りは認めはしない。
そして、少しは考えて欲しい、その虚像を造りだすために犠牲にしてきた人々の事を。
個人の話だけではない、会社も社会もそんな事を繰り返している。
虚像の理想を追い求める人もその犠牲になる人もない社会を作る。
それが、我々に与えられた使命なのではなかろうか。
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