ネット関連の会社を経営している身で言うのもなんだが。
インターネットが社会に普及(普及どころじゃないな、浸透だな)してからいろいろな事が変わってきた。
便利になったし、お金も節約できるし、出会い(再会)も増えた。
でも、一番感じているのは「脳に優しくなった」ことなんじゃないかな?
知らない事を「調べる」や情報を「整理」をするのに脳に膨大な労働を強いて来た。
それが「ネットで検索」によって解放された。
ネットに繫がる端末を持っていれば、脳は「覚える」ことや「整理する」ことをしなくて良くなった。
すなわち、端末に「脳」の一部を代用させられるようになったのだ。
自分も物忘れが激しく(昔からだから年齢のせいではない!)「ネット検索」に助けられている一人ではあるが。
だからという訳ではないが、「調べる」「覚える」「整理する」機能をネットに任せるのは良しとしよう。
しかし、最近ちょっと気になる事が始まっている。
ネットが人間の「判断力」を奪おうとしている動きである。
例えば、あなたが会社帰りにちょっと一杯、なんて時に。
いつもの居酒屋では飽きたから他に行こうかね、なんて話になって。
近くの居酒屋を検索!
すると、近隣の居酒屋を教えてくれるサイトが羅列される。(ぐるなびや食べログやホットペッパーね)
その中から気になるサイトを選んで、ランキングを見たり、こだわり検索でカテゴリーを選んだりして「今日はこの店にしようか」などと言いながら予約する、もしくは行ってみる。
それが今までの一般的な流れであろう。
ネットは情報を「調べて整理」してくれる。
それらを見て、気分も含めて、この店に行こうと判断するのは人間だ。
ところが、この「判断」をネットがやる事になったらどうだろうか?
例えばこうなる。
先ほどのように会社帰りに一杯行こうと思い、ネットで検索する。
すると、サイト一覧が出てくる訳ではなく「何人で行くか?」と聞いてくる。
さらに「予算は?」「これからすぐ出るか?」などと聞かれてそれを答える。
すると、ネットから「あなたが行くべき店はここにある」と表示され、更に「予約するか?」と聞いてくる。
「する」とボタンを押すと自動的にお店に予約の連絡が行き、後は行くだけ。
行ってみると、その店はイタリアン、自分の好みの店構えで価格的にもちょうどいい。
なぜイタリアンか?
それは、この数日間あなたは好物のイタリアンの店に行っていないから。
だから久しぶりにイタリアンが良いだろうと「ネットが判断」したのである。
なぜ、ネットは判断しようとするのだろうか?
それがビジネスになるからである。
ここで言う「ネット」とは何か?
超メジャー検索サイトである。
人間の行動を管理することで、自分たちのビジネスフィールドに参画させるのである。
本人が望む望まないに関わらず。
こんな事は架空の話だと思うかもしれない。
しかし、確実にその動きが始っている。
携帯端末を利用すれば、あなたの日々の行動がわかる。Facebookで毎日の食事をアップロードすれば、何を食べているのかわかる。ポイントカードであなたのお買い物履歴がわかる。
これらをデータベース化すれば、あなたの行動も趣味も筒抜けである。
これが「ビッグデータ」の社会である。
明日、あなたがどういう行動をするべきか、どこに行って何を食べて、どんな服を買うべきか、をネットが「判断」する時代がもう既にやってきているのだ。
あなたはどう思うだろう?
「こいつ、気が利くな、かわいい奴」と素直に喜べるとしたら、幸せな方だ。
自分としては「余計なお世話だ!」と思う。
何を食うかは自分で選ぶし、何よりも「お前が判断するな!」と言いたい。
どんなに社会が便利になっても「判断する能力」だけは人間が無くしてはいけない力のような気がする。
しかし、上記のような動きは止めようもなく、確実に進行しているのである。
繰り返すが人間の判断力だけは大切にしなければならない。
ネットの「おすすめ」に言われるままにお買い物するのはくれぐれもご注意を。(あ、俺だ!)
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