いつの頃からだろう、周囲の人から「みのるさんはいつもポジティブですよね!」と言われるようになったのは。
確かに、社員の前で話すときも、学生の前で話すときも、金融機関と話す時もネガティブな話をする事などあるわけないのだから、当然と言えば当然。
まぁ、それ以外の時(飲んでる時とか)もポジティブな話してんだろうな。
しかし、産まれてこのかた自分をポジティブ思考の人間と思ったことはない。
むしろ、内向きで人見知りだったりする。
以前にも書いたが、自分は東京下町の出身で中学まで地元の公立学校に通っていた。
あまり品の良くない仲間も多かったがそれなりに楽しく過ごせた。
成績もそれなりで、生徒会長をやっていたので全校的にも目立った存在だったと思う。
しかし、高校での様子は全く変わった。
私立で付属の男子校、それも品の良い方々が通う高校。
文化の違いに戸惑い、次第に閉鎖的になっていく。
学力も受験による燃え尽き症候群ですっかりやるきを無くし、赤点ギリギリでやっとこ進級できるレベル。
クラスでの友人も少なく、唯一部活だけが自分の存在を支えるような状態だった。
結局、高校の思い出と言えば部活と学園祭。音楽をやっていた思い出しかない。
大学はもっとひどい。
入学当初は音楽もやめようと思い、バイトのみの生活に入りそうだったが、先輩に連れられて軽音楽部へ。
結局、音楽とバイトの日々で授業なんてほとんど出ない、とんでも学生。
そんなだから単位なんてまともに取れずに、1年生で取得した単位はたった8単位。
普通は落第だろう?経済学部でよかった。
そんな自分が4年で卒業できたのは、高校時代から付き合いのあったわずかな友人達に救われたから。
その頃の友人には本当に頭が下がる、ありがとうね!
でも、本当に友人が少なかった。
というよりも、自分から友達を作ろうなどという動きをしなかった。
そんなネクラな学生時代を送ってきた自分が変わるのは、社会人になってからなんだ。
本当はやる気のなかった営業の仕事。
配属を聞かされた時は「本当にやるのか?やれるのか?」という自分に対する疑心暗鬼。
しかし、否応なしに上司から指示が出る。
出来なければ毎日詰められる。地獄だったよ。
いつやめてやろうか、と毎日考えていた。
同じ部署に配属になった新人16人、3ヶ月で半分退職。
半年で4人に。2人退職、2人直訴で配置転換。
2年目になった4月には営業の同期は2人になっていた。
当時の自分のマネジャーが言った「去年の採用は失敗だな、人事もいい加減だよ!」
忘れられない屈辱的な言葉、未だにこの人は嫌いだ。
しかし、営業2年目になり自分は変わっていた。
いつやめてやろうかと思っていた自分はそこにはいなかった。
「やめる奴はやめろ、俺はここでいっぱしの仕事をしてやる」
そういう思いが強くなっていた。
だから必死に仕事をしていた。
誰かに言われるからやるのではない、自分の為に仕事をした。
夜中まで仕事をすることも苦にならなかったし、自ら課題を増やしていった。
先輩に挑戦的な言葉を吐いて、わざとヒンシュクを買う事もした。
そいうことで自分を追い込んだ。
追い込んで、それをクリアする事に喜びを見いだした。
誰からも認められる存在になりたいと思ったのだ。
なぜ、そんなことを思ったのか?
それは、“成果を見ている人が常にいる”からだ。
成績が悪くても良くても上司が必ず見ている。
悪ければ「何やってんだ!やり方が間違ってるんじゃないのか?」と詰められる。
良ければ「なぜ今回よかったのかを考えて、次回はもっと高い目標を達成しよう」などとおだてられる。
そう、常に見られているんだ。
高校でも大学でも自分をそんなに見てくれる人はいなかった(当たり前だけどね)
常に評価される立場というのは、ある意味面倒くさいが、心地良いものだったりする。
だから、仕事で認められる存在になりたいと思ったんだ。
その頃からポジティブな発言をするようになった。
やっぱり人間って誰かに見られている事がわかると頑張れる、明るくなれる。
誰にも見られていない“その他大勢”はつらい、何を言っても伝わらない気がする。
世の中が変化して、仕事に対する価値観も変化している。
紙がネットに変わり、ビジネス手法も日々変化している。
瞬間に産まれて瞬間に消えるビジネスも多い。
会社と社員の関係も変化している。
社員を育てるよりも効率や利益率を大切にする会社も増えている。
ここらで、ちょっと考えてみてはどうだろう?
今が未来への起点であるとすれば、我々は未来に何を紡いでいくべきなのか?
あざといビジネスモデルなのか?
それとも、過去から脈々と繫がる共感のビジネスマインドなのか?
経営者に問われる大いなる課題ではなかろうか?
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