春の嵐が通り過ぎた先週水曜日、銀座の「玉亭」。
Iさんと食事する時はだいたいここである。
「玉亭」はRの先輩で、何十年も美しさが変わらない素敵な女将さんがやってる感じの良い料亭。
IさんはR時代の先輩。
自分が入社したときにはチーフで、いわゆる「バリバリの営業マン」だった。
Iさんは数年後、社員教育関連のコンサルファームに転職しその後起業、東京・大阪で会社を立ち上げ、現在は上海の立ち上げの陣頭指揮を執っている。
自分が入社して一年経過したあたりから親しくさせてもらうようになり、度々一緒に飲みに行かせてもらった。
それぞれの状況が変化しても時折お声がけいただき、たまに飲みにいく関係が続いている。
前回が夏の終わりだったので、今回は半年ぶりの再会。
少し遅れて入ってきた自分に「よっ!」といつもの顔。
いつもよりも少し顔が焼けているように見える。
「やはりPM2.5の影響で顔が黒くなりましたか?」
「バカ言え、ハワイに行ったんだよ」
「え、ご家族と?」
「当たり前だろう、他に誰と行くんだよ。いつも家にいないからたまにはなぁ」
聞けば、上の娘さんがこの4月に就職することになり、学生時代のうちに親子4人でハワイに行く事にしたらしい。
Iさんは1年のうち260日ぐらいを上海で過ごす。
100日程度の日本滞在で業務をこなし、家族と過ごし知人と食事をする。
自分が家を空けていることで、家族に迷惑をかけているという償いの思いがあっての“ハワイ”らしい。
最近の話題、PMや鳥インフルの話を振るが現地では然程の話題ではないらしい。
それよりも単身赴任の苦労を切々と語っていた。
「平日は良いけど、週末がきつい。やることがなさすぎる」
「マッサージとか行けば良いじゃないですか?」
「行ってるよ、毎週。マッサージ行って帰ってビール1杯かな、これが定番になってるな」
国内でも海外でも男の単身生活とはこんなモノだ。
さて、ワインを2本空けて2件目。
ハイボールを飲みながらのバカ話を2時間。
今日はこれくらいでと店を出る。時計はちょうど日付をまたぐ辺り。
「もう一件いいか?」
「いいですけど、珍しいですね・・・」
「ここだよ」
連れて来られた店は、数年前に一度来たIさんの行きつけ。
昔なじみのママさんがやってる小さなスナック。
「久しぶりねぇ、水割りでいい?」
酔っぱらい二人の突然の登場にちょっと驚いたママさん。
「おれなぁ、今リストを消していってるんだよ」Iさんが少し座った目で語り出す。
「・・・」
「日本にいる時間が短いだろう?だから会う人間を絞ってるんだよな。どうでもいい奴と会う時間はもったいないと思うようになったんだ」
これと同じ台詞を数年前に聞いた。
3年前に亡くなった村上さん。
ご自身の状況を悟り、最後の入院をする前に自分のところにお越しいただいた時の話。
「今会いたいと思う人以外のリストをすべて捨てたよ、もう時間が余りないからな」
人は、自分の時間がないと誰とでも繫がりたいなんて思わないものなんだ。
Iさんも村上さんも顔が広い。ちょっと声をかければ、話をする相手に不自由することはないだろう。
しかし、いろいろな人と会う時間よりも、真に会いたい人と過ごす時間を大切にしたい。
本当の“繫がり”とはそういうものなのだろう。
足元が怪しくなったIさんを2時頃に見送った。
「今度上海に遊びに来いよ!絶対に!」
何度も言っていたこのフレーズは明日になっても覚えているのだろうか。
この数年、フェースブックが盛り上がり、誰とでも“繫がる”ことが当たり前のようになっていた。
確かに20年以上会っていない同級生達と繋がれた事には大変感謝している。
しかしフェースブックで「今日の昼飯はカツ丼でーす!」と顔つき写真をアップされても、40過ぎのおっさんの昼食に興味を持つ事は恐らくない。
興味もないから「いいね!」を押さないと「お前は冷たいなぁ」と非難されているようでモヤモヤする。
いっそやめてやるか!とも思うが、それもちょっと不安になる。人間なんて弱いものだ。
それでも最近は、本当に会いたい人との時間を大切にしたいと感じるようになった。
会いたい人=大切な人=繫がっていたい人。
これが本当なんだろうな、実際。