生きていれば、勝負に勝つ事も負ける事もある。
仕事でも成功するときもあれば失敗するときもある。
人間の成長というのは負けた時や失敗したときの対応にこそあると思うのだが、いかがだろう?
先週日曜のテレビは勝ち戦の安倍さんが主役だったが、月曜日以降のテレビはまさに「敗軍の将」が主役。
○江田さんや○沢さん、○下さんと言ったちょっと前には威勢のよかった人達のその後が話題になっている。
○下さんの場合はちょっと事情が違うようだが、見苦しいのは前半二人。
○江田さんは自分たちの負けを前任者がバカな事をやったからだと、責任をなすり付けた。
確かに前任者は大バカだが、○江田のリーダーとしての資質のなさがクローズアップされて、全く情けない。
一時期、時代の寵児であった○沢さんは見る影なし。
「負けたのは我々に取材をしなかったマスコミの責任である」と語るあたり、政治家としては末期であることを感じる。
敗軍の将が語る事で一番やっては行けない事。
それは「他者の責任にすること」である。
もちろん負けの背景にはいろいろな要素があるであろう。
市場環境、商品力、メンバーの力。
それらの何が問題で失敗したのかを分析する事は大切である。
失敗を活かして次の手を打つ事を求められるのがリーダーだ。
しかし、負け戦の責任を取るのもリーダーの役割りだろう。
それを「○○のせいで負けたんだ!」などと面前で語るのはだだっ子の所行である。
衆人を率いる器のある人物ではない。
と、まぁ昨今の報道番組を見ていてあまりにも腹が立ったので書いてしまったが。
自分に置き換えると、そう言えば今までたくさん失敗してたなぁ、その度に言い訳してたなぁ、などと思い出す。
営業マン時代、売上目標を達成できなかったときの上司への言い訳。
「Aヨミのお客さんに断られたんです」
「この新商品、今一人気がなくて・・・」
「今月は休みが多かったんで・・・」
とまぁ言い訳の種類には事欠かない。
とにかくも自分の“負け”を何かの責任に転嫁しようと一生懸命だった。
その度に上司から「あほか!お前の為に仕事があるんじゃない。仕事はお前が創るんだ、甘えるな!」と叱られた。
叱られたって簡単に変わるはずもない。
「売れないもんはしょうがない、会社が良いもの作らないからだろうが」
「良い客に会えば、俺だって売れるよ。いいよなぁ先輩は、良い客担当で」
「俺のやり方が悪いんじゃない、認めない周りが悪い」
などと、小僧のような事ばかり考えていた。
そんな言い訳小僧もある時から言い訳をしなくなる。
それは「他責では何も変わらない、自責で生きるべきだ」と気づいたから。
そう考えるようになった頃から仕事が楽しくなってきた。
仕事をやらされている時には、なんとか言い訳をして逃げたかった。
でも、自分が仕事を創り出せるようになってくると楽しくなる、もっと深く関わりたくなる、真髄を知りたくなる。
失敗したりうまくいかなかった時でもその原因を探り、次に活かそうとする。意識しなくても自然とそう出来るのだ。
だから自分の失敗を素直に認められるし、次の展開で見返してやるという思いを持てる。
やはり組織のリーダーは他責ではだめだ。うまくいかない時こそ自らの中に責任を求めなければならない。
あ、先週の「ついていきたいリーダー」の条件に付け加えよう。
「失敗の責任が取れるリーダー」と。