すっかり秋らしくなった今週。
会社近くのコーヒー屋さんの外テーブルで軽く打ち合わせをしていると、懐かしいお顔を発見。
昔お世話になった、K出版のS社長。
確かこのビルに上階にオフィスがあったはず、お昼からの帰りか。
自分と目が合って、一瞬「ん?」という顔をされていたが、すぐに思い出されたらしく、近づいてきてくださった。
「どうも、ご無沙汰をしております」
立ち上がり、深々と頭を下げる。
「おお、元気かい?」
以前と変わらぬ元気なお声ときれいに整った白髪が素敵だ。
「はい、おかげさまでなんとかやっております」
「そうかい、今は何冊くらいやってるの?」
なるほど、当時の自分は雑誌の広告代理が中心の事業だった、S社長は未だに雑誌をやってると思われたのだろう。
「・・・いや、雑誌は最近やっておりませんで・・・」
「そうなのか、またぜひ上にも寄ってくださいよ」
「はい、ありがとうございます。ぜひ寄らせていただきます」
再度、深々とお辞儀をしてS社長を見送った。
一緒にいた当社メンバー。
「どなたですか?」
「K出版のS社長だけど、昔大変お世話になってねぇ」
〜昔、パセリが設立されるよりも随分と前〜
当時、ドゥプランニングは雑誌の広告代理店だった。
雑誌不況が始まり既存の雑誌が売れなくなっていた。
どこの出版社も新たなマーケット開拓に必死であった。
そこで新しい分野の雑誌を創刊させる。
しかし、売れるかどうかわからない雑誌の広告は大手広告代理店が扱わない。
そこで、我々の出番。
新創刊雑誌の広告を専門にした代理店。
“媒体代理”もしくはレップと言われていた仕事。
広告売上マージン20〜30%で営業活動から制作まで行なう。
一つの雑誌では会社の運営はできないので、何誌も掛け持ちで代理店をやる。
そこで、いろいろな出版社に顔を出し新雑誌の様子を伺う。
そんな時に出会う。
「Wakebording Magazin Japan」
アメリカで流行はじめたウェイクボードの専門誌。
K出版が日本版を発行する事になり、そのレップの仕事をいただける事になる。
専門誌であるために営業先は限られていたが話題性もあり、広告はそこそこ売れた。
当時は、それ以外にも「ネイル専門誌」や「パソコン専門誌」「バイク雑誌」のレップもやっていた。
本当にニッチな市場ばかり。
どれも大ヒットはしないが、そこそこの売上を上げていた。
しかし、問題は“代金回収”なのだ。
広告掲載企業のほとんどが中小企業というか、零細企業でお金がない。
自転車操業でお店をやっているところばかり。
雑誌広告は掲載したけど、その代金を支払う余力がなくなる。
そこで未回収金が増えて行く。
マージン20〜30%なので70〜80%は版元に支払わなければならない。
未回収になったお金が増えれば版元に支払えない。
未払いの広告費を払ってもらえるようにお願いしても「ないものはない!」という具合で払ってもらえない。
そんな事が続くと、期日通りに版元へ支払うことができなくなる。
「大変申し訳ないのですが、支払いを待っていただきたい」
などと版元に泣きつく結果となる。
これが辛かった。
未回収金がなければ支払えるのに、お客さんが払ってくれないから払えない。
悔しいし、情けない。
事情を話すとS社長は「そうか、鈴木さん、大変だね。分割で払ってくれれば良いから」と優しく対応していただけた。
「申し訳ないです、必ずお支払いします」
そう言って、このビルを後にした事を覚えている。
結局、ウェイクボード雑誌は数年で休刊になり、我々も仕事を失った。
広告料はその後分割で支払いをしたが、S社長には随分とご迷惑をかけたしご心配をおかけした。
ーこんな惨めな思いは二度としたくないー
この思いが版元ビジネスを興す事を決意させた。
パセリ創業のきっかけ。
自分の泣き言を優しい顔で聞いてくださったS社長との再会。
懐かしいし嬉しいことだが、恥ずかしい思いが蘇る。
人生、辛い思いや悔しい思いをすることは一度や二度ではないだろう。
そういう時に出会った人や言葉というのは、いつまでも心に残るものだ。
“ありがたい言葉”を思い出すと同時に裏側にある様々な思いも同時に蘇る。
でも、人はいくつもそういう思いを積み上げて“本当の大人”になっていくのだろう。