「社長!A社に出す見積もり、こんな感じになりました」
「これじゃあA社は納得しないんじゃないか?値段には結構うるさいからな」
「でもこれ以上は安くできませんよ」
「だったら『これ』削ろうか、ちょっと贅沢に見えるし無くてもさほど影響ないだろうから」
「わかりました、ではそれで出しておきます!」
こんな会話がなされたのかもしれない。
「新国立競技場」
社長=安倍首相、A社が国民、『それ』が空調設備。
空調設備を省くことが良い悪いではなく、「競技場の見積り」まで総理大臣が決めている状況が異常だと思う。
首相以外に責任を負うことができる人がいないってことなのか?
自民党総裁選も無投票で安倍さんの継続が決定らしい。
自分は安倍さん、嫌いじゃないしすごく仕事できる人だと思う。
でも、政府や政党の内部が少しおかしいと思う。
すべてのことを安倍さんの決断や判断に任せるような構図になってないかな?
国民からはそう見えてしまう。残念なことだ。
政治の世界では、自らが責任を負って前面に立つような人が少なくなっているのか?
トップに責任を押し付けて自らの保身と利権に走るのであれば、国会議員なんて必要ないのかもしれない。
いや、もしかすると「これが国民が求めている姿」なのかもしれない。
混沌とする時代の中で生きていくためには「強力なリーダーシップ」が必要。
社会全体がそれを望んでいる。
「強力なリーダーの元で自分の生き方を見つけたい」
求めるのは「細やかな感性を備えた意志の強いリーダー」というところだろうか?
経済社会においては「その構図」が其処此処に現れている。
「強いリーダーシップ」で会社を引っ張っていく会社。
多少ワンマンでも思いを持った人間がリードしていく会社が伸びている。
ソフトバンク、楽天、Google、FaceBookなど。
経営者自身が社会に受け入れられる「仕組み」を生み出す企業。
かつてのAppleもそうだった。
「今」という時代を生きるためには、そうなることは否めないと思う。
だからこそ、本当に求められる「経営者のモラル、理念、信条」
そして、出てきてほしいのが次のリーダー。
以前「テトリスマネジメント」のリーダーについて語ったが、誰しもリーダーになれるわけではない。
資質がある。
その資質を活かすも殺すも自分次第である。
自分のポジションの会社組織のピラミッドのどこに位置するかをプロットし、上司の顔色を伺いながら息を潜めている人は「次のリーダー」になることは難しい。
自らの意志を表現、行動できる人材こそリーダーにふさわしい。
国も企業もいつかは「老いる」
次の時代を造るために「次のリーダー」が必要になる。