先週末、2年ぶりで福島いわきへ。
両親の実家へ帰省。
震災から4年半、変わったこと、変わらないこと。
四倉駅近くの「久浜」震災2年後と現在の様子。
2年前に訪れた時にはまだ被災の傷跡がそのまま。
しかし、今では神社だけを残して更地に。
周囲は「立ち入り禁止」
「ああ、復興はやっとここまで来たんだな」
ほっとする気持ちと昔の風景が消えることの寂しさ。
現国道よりも山側に建造中の「新たな道」
もしも、またあのような「波」が来た時にも被害が出ないように。
それでも海岸近くには民家が並ぶ。
ーアンバランスな現実ー
「ここに住む事しかできない」
波に生き残った家屋、それぞれがそう言ってるようだ。
父方の田舎、隣にあった家がない、雑草が鬱蒼と茂っている。
おそらく去年には取り壊されていたのだろう。
「被災して住む事が危険だから」
市が取り壊したらしい。
何十年も住んでいた人たちは「被災者」として生きている。
母方の田舎、田んぼも川も震災前も今も変わっていない。
変わったのは、叔父や叔母が土産を渡す時の言葉だ。
「いわきのモノだけど、食べるか?」
何も変わらない風景の中で人々の意識だけは変化している。
震災による事故は彼らに無意識な劣等意識を植え付けてしまった。
それでも彼らは恨み言も昔話もしない。
「あの事故がなかったら」「なんで我々だけが」
こんな話を聞いた事がない。
「今の状況」の中で自分たちが何をなすべきか?
昔は良かったと思う気持ちや未来に対する漠然とした不安もあることだろう。
自治体や国に対する不満もあるだろう。
それでも今の自分たちの生きる術を考えている。
震災による「原発事故」は一体誰が予測したであろう?
様々な見解はあるだろう、人災だという人もいる。
避難を余儀なくされたされた人や被災者を受け入れている近隣、精神的な被害を受けている人々は「原発反対」と声を荒げていない。
「現実」を受け入れて生きていかなければならないからだ。
イデオロギーや理想論で声を荒げる人々にはわからなだろう。
そうした「声」をあたかも民衆の声だとして喧伝するマスコミにも。
「被災した人たちの声を代弁している」なんて言わないほうが良い。
そうした人々が望むのは「今を受け入れて普通に生きる事」なのだ。
解決する事なんてできない。
理想論を語るよりも現実をしっかり見つめて「今なにをするべきか」を考えるべきではないだろうか?