最近、昭和歌謡が流行ってるらしい。
有名な歌手も昭和歌謡をカバーしてるし、カラオケでは20代の人たちも歌っているらしい。
歌詞のわかりやすさやメロディラインの美しさがうける理由らしい。
昭和の映画も面白い。
自分は松田優作の主演作が好きで、最近WOWOWで特集された特集は全て録画してみたくらいだ。
あの頃の作品では主人公は「たばこを吸う」「拳銃をぶっ放す」「殴る、蹴る」それに現在では放送禁止とされている言葉を使うなど、ある意味傍若無人の振る舞い。
たばこを吸ったり平気で拳銃を打つという、その行為が面白いわけではなくストーリー展開として主人公のキャラクターを表現するには良いツールだった、視聴する側も受け入れていた。
現在の日本であの頃のような表現をしたら袋叩きにあうかもしれない。
「ネット」や「マスコミ」から。
今のテレビや映画、雑誌も含めて「表現」に自由があるとは思えない。
いや、本当は自由なんだけど必要以上に自粛する機運が高まっているといったほうが良いかな。
テレビCMの表現でタレントのセリフが「女性蔑視だ」とか「差別を助長する」とか少数の匿名意見によって取りやめたり、変更したりする。
大多数の人が差別とも蔑視とも思わないし、もしくはそれに気づくこともないのにである。
スポンサーは過剰に反応しすぎではないだろうか?
このほんの少数の「クレーム」によって社会が生きにくくなっていると感じることはないだろうか?
「偏見」「蔑視」「差別」といった言葉を使うことで表現者の自由を束縛している。
そこにそんな意図がないことは明確にもかかわらず、言いがかりをつける。
マスコミも表現者もスポンサーもこの「言いがかり」に気を使って、言いたいことが言えない、もしくは伝えきれないという現象が起きている。
だから最近のテレビはつまらないとも言える。
何かを表現すれば重箱の隅をつつくようなクレームが入る。
これでは新しい表現や施策は出てこなくなってしまう。
昔の日本はもっと「許容力」があった気がする。
「まぁ現実にはありえないけど、面白いね」「ちょっと過激だけど、面白い」
なんて、テレビやマスコミと実社会とは分けて考えていた。
だからドラマの中でタレントがタバコを吸っても薬をやっても殴っても「それはテレビだから」と客観視してた。
CMだってそう、どんな過激な表現でも「それはテレビだから」で許していた。
そんな「許容力」がなくなった。
この現象って幾つかの要素があると思う。
一つは「言いがかり」によってマスコミや大手スポンサーが変更したり中止したりする姿を見て楽しむ愉快犯。
もう一つは「自分の価値観は絶対である、間違いは修正しなければならない」という価値観の押し付け偽善者。
両方とも厄介である。
特に対策はないだろうが、そういう人たちに対しては「意に介さない」という姿勢でよくないか?
多くの人は「許容力」を持って他人と接している。
数名の愉快犯と偽善者に振り回されるのはもうやめにした方が良いと思う。
気を使いすぎて生きにくい世の中になっている気がする。
「許容する」社会の方がよっぽどみんな生きやすいと思うが、いかがだろうか?