先日、ある部品加工会社に取材に伺った。
自動車のパーツや電子製品に部品を製造している会社だ。
工場を案内してくれた人がボソッと話した。
「昔はメーカーの人が工場に来て納得できるまで一緒に作ったんですよね、それが今ではデータが送られてきて『このデータどおりに作ってください』で終わりですよ」
なるほど、CADなどのデジタルデータを送ればその通りにできるはずだ。
「だからってわけではないんでしょうけど、昔よりも無茶な要求も増えましたね、明日納品してくれとかね(笑)」
データ通りに成形しても、部品として使うには微妙に精査する必要がある。
実体にすることで多少のズレが起こり、それを少しづつ調整していかなければならない。
データ通りにと言っても結局人間の手は必要なのである。
発注側が、そこを理解しなくなった。
だから「これくらいできるでしょ?」てな無茶を言ってくる。
「そんな要求断ればいいじゃないですか!」
いやいやそんなことできない、中小企業が生きていくためには多少無茶な要求でも応えていかなければならない。
結果的に、注文を受けた側が無茶をする。
無茶な納期に間に合わせるために誰かが「残業」することになる。
こんな現象は日本全国どこでも起こっているだろう。
ネット化パソコン化で便利になる社会の裏では声なき人々の苦労があるのだ。
考えても見れば、世の中便利になった。
しかし、便利になった裏側って見えているだろうか?
コンビニが24時間開いている、その裏には深夜働く人がいる。
ネット通販で即日お届けするには配送業者の苦労がある。
システムトラブルが起きたらすぐに治す人がいる。
便利で楽になった暮らしを裏で支える人々がいることを理解しなければならない。
便利が癖になって「わがまま」になっている人も増えている。
自分の思いの丈を「お客様」という立場を利用して叶えようとしている人がいる。
「お客様」であることをカサに着た「理不尽な要求」が多く存在する。
「こっちは金を払っているんだから言うことを聞け」と。
そのような体験をした人は多く存在する。
それを実現するために、やらなくても良いことをやったり残業をしたりという経験をした人も多いだろう。
それでも「仕方がない、これも仕事だ」と自分に言い聞かせて諦めてきた人も多いと思う。
しかし、その「我慢」、そろそろやめたほうが良いと思う。
理不尽な要求を受け入れてしまうと「お客様」は「これで良い」と思ってしまう。
するとさらに要求が高くなるかもしれない。
これは社会のために良くない。
無駄な残業が増えていくのにはこのような要求の対応があるからとも言われている。
自分は以前から言い続けてるのだが「お客さんと我々は対等である」という考えだ。
我々は自分たちのサービスをお客様に提供している、その対価を頂いているのだ。
理不尽な要求や我々の理念に合わないことはお断りをする。
「お客様のわがままにお答えするのがビジネスだ」とおっしゃる方もいる。
それとこれとは話の次元が違う。
マクロの視点で見る「わがまま」と傍若無人な「わがまま」では意味が違うのである。
人数の少ない中小企業では一人一人のメンバーが大切な存在である。
理不尽な要求でその能力を邪魔されるのは御免である。
そのような「お客様」は「客もどき」として相手にしないことだ。
今から数十年前に当時の上司から言われた「営業マンはお客さんに鍛えられる」という言葉はまさに正しい。
良いお客さんは営業マンを鍛える。
お客さんを見極めることも営業マンの大切な役目である。
「お客様は神様じゃないのか?」と理不尽な要求をされたらこう言い返せば良い。
「ええ、そうかもしれません、でも改宗したのであなたは私の神様ではありませんよ!」