昔から満員電車が嫌いだ!
荷物のように押し込まれる感じがとてつもなく嫌いだ。
起業した動機が「満員電車に乗りたくない!」というくらいに嫌なのだ。
先日、仕事の都合でどうしても朝9時に大井町にいかなければならなかった。
「山手線かぁ、やだなぁ」
朝8時台の山手線は「殺人的」に混んでいる。
大井町駅に行くのであれば埼京線を使う手もあるのだが、ホームが遠いので不便なので時間的余裕を考えて山手線へ。
案の定である、駅に人が溢れかえっている。
通勤の人々にとってはいつものことなのであろう、皆無表情でやり過ごしている。
満員で入ってきた電車を一台、ホームの端から見送る。
次の電車に乗るために列の真ん中あたりで待つ。
その間にも人は増え続ける、列の間を人が通る。
「何なんだこの状態は、やっぱり埼京線の方が良かったかな」後の祭りである。
電車が入ってくる。
電車に押し込まれる、後ろから押される、押しつぶされる、それでもなお人が入ってくる。
息ができない、左右前後から人の圧力。
次の駅、人が一斉に降りるホームに落とされる、そしてまた押し込まれる。
こんなことを数駅、品川駅で乗り換え。
上りエスカレーターまでの川のような人の流れを見て思う「この人たちはこれを毎日やっているのか?これで良いと思っているのか?」
貧血気味で倒れそうになる。朝からこんな苦行をやっていたら会社で仕事なんてできるはずがない。
だからやっぱり「満員電車は嫌いだ!」
それでも多くの人たちがこの生活を日々行っている。
毎朝の苦行は一体誰のためにしているのか?
朝9時に出勤することがそんなに大切なのか?
元々、企業の9時出勤という就業規則に整合性はあるのか?
辛い思いをしてやっとの思いで会社に到着してタイムカードを押して机に座る。
ほっとするだろう、安心するだろう。それが仕事なのだ。
それが日本のサラリーマンの常識?
最近、残業時間や過重労働が問題になっている。
それも関連するが、働く人の環境や評価についてそろそろ根本的に考え直すべきではないのだろうか?
社員の評価を労働時間や作業量だけで評価することをやめない限り、満員電車で体調を崩す人も残業時間の多さで精神を病む人もなくなることはないだろう。
昔の高度成長期は終わったのだ、そしてバブル経済もこれから起こることはない。
高度成長期の夢よもう一度と、無我夢中で全員右へ倣えの精神論で仕事をしていても「成果」は出ないのだ。
画一的な働き方では生産性は上がらない。
会社や事業を成長させたいのであれば「多様性の対応」へ舵を切るべきである。
時には根性論も必要であろう。
「朝は誰よりも早く来い」「上司が帰るまで帰るな」「夜討ち朝駆けでお客の信頼を得ろ」
などというバカバカしい精神的根性論は不要だ。
与えられた任務を「自らの意思」でやり遂げる、困難な仕事をやり遂げようとする根性は必要だと思う。
根性を出すのは自分との戦いの時だ。
残念ながら昔ながらの精神論的根性論が未だに生きているのは「大手企業」と言われる有名企業なのだ。
新宿、渋谷、恵比寿、品川、東京などに本社を構える大手企業の考え方が変わっていけば山手線の殺人的満員状態は緩和されるかもしれない。
でもやっぱり無理だろう、そういう企業の役員トップは電車ではなく「黒塗り社用車」でゆっくり出社するのだから。
大きな組織ほど現場の声は届かないものだ。
ちなみに、当社のような企業はトップがこんな感じなので無駄な精神論・根性論はとっくに捨てている。