「あなたは友達多いですか?」そう聞かれたらどう答えるだろう?
なんでも話せる友人は多くない。
いてくれるだけでありがたい存在。
「友人」というのは「つくる」ものなのか「できる」ものなのか?
「友人とは自然にできるもの」と思う。
「この人と友達になりたい!」と思ってできるものではない。
自分は昔から人見知りで、感情を表に出さないタイプだった。
だから誤解されることもあったし、集団に交わることも苦手。
今でも知らない人の中にスッと入ることなんてできない。
だから人前では「演出」をする。
お調子者だったり真面目人間だったり。
そうやって自分を演出しないと他人とのコミュニケーションが辛い。
だから「友達をつくる」なんてことはできなかった。
表層的に付き合うことはできても心を許し合うことは苦手だった。
そんな自分にも「友人」はいる。
年齢もいろいろ、年上も年下も同級生もいる。
自分にとって「友人」とは「一緒にいてしんどくない人」「なんでも話ができる人」
気を使わなくて、気を許せる人。
「本当の友人ができるのは高校時代まで」なんて言われるが、そんなことはない。
社会人になってからできた友人もいる、起業してからも。
仕事仲間だったり、趣味が一緒だったり、元々は先輩後輩だったり。
きっかけの関係は様々だ。
数年会わなくても会えばすぐに戻れる。
会っていなくてもお互いの気持ちはなんとなく想像がつく。
今、抱える悩みや問題だって話せる。
思いを共感できるのが「友人」だ。
相手を利用しようとしたり、妬んだりしないのが友人。
困っている時にただ話を聞いてくれるのも友人だ、アドバイスなんてなくても良い。
そういう友人は、やはり「できる」ものであり「つくる」ものではない。
先週末、久しぶりに「友人」と会った。
3年ぶりであろうか?
それでも会えばすぐに元に戻る、懐かしい話をする。
近況を話し、それぞれの悩みや問題を共感する。
解決なんてしなくて良い、話をするだけで良いのだ。
数時間一緒に酒を飲み、歌う、そこそこ良い気持ちになって家に帰る。
次の約束なんてしない、会いたくなったらまた会えば良いのだ。
何を話したのか、なんて忘れたって良い。
次に会った時にまた思い出す、そんなんで良いのだ。
「心がリラックスする時間」
友人と過ごすのはそんな時間だ。