最近話題のテーマを一つ。
ヤマト運輸さんの「値上げ」「配達時間短縮」「配達有料化」について。
これってどう?
自分としては「よくぞ思い切ってくれた!」なのである。
朝から晩まで宅配のお兄さんは自転車やリアカーで走っている。
荷台には山積みの荷物、そのほとんどが「amazon」などの通販商品。
会社にいると午前午後、いったい何回来るの?
オフィス街の配達はまだ良い、不在の場合も多いマンションや自宅には1日に何度も行かなければならない。
「不在お届け」が入っていると夜8時までなら再配達してくれる。
今はこれが当たり前になってる。
amazonでは会員向けに「当日届け」「1時間届け」の「サービス」を続けている。
ユーザーにとってはありがたい「サービス」の煽りを食うのが宅配の人たちだ。
amazon側は「ユーザーの利便性」という伝家の宝刀を持ち出し「サービス」を流通に人に押し付ける。
もちろんamazon側と流通(経営者)側とで合意を得ているのであろうが、大量発注を理由に流通側に譲歩させている図が目に浮かぶ。
そもそも、我々はそんなに急ぎでモノが欲しいのだろうか?必要なのだろうか?
「その日便」でもやりすぎと思うが「1時間便」というのはいかがなものだろう?
朝刊で見た書籍をその場で頼むと帰って来ると郵便受けに届いている、という使い方をよくする自分にとっては確かにこのありがたいサービスを享受しているが、届くのが翌日になってもたいして困らない。
「どうしても今日中に欲しい」ものであればその日にお店に行けば良い。
「1時間便」はコンビニが近くにない地域には嬉しいサービスであろうが、あいにくとこのサービスは都会でしか使えない。
歩いて数メートルの場所にコンビニがある都会に1時間以内に届けて欲しいものがあるなんてあるのだろうか?
これって過剰サービスではないのか?
amazon、流通業、ユーザー、この三方にとって本当に嬉しいサービスなのだろうか?
amazonは競合との差別化をしたいのでこうしたサービスを提供していきたい、それはわかる。
ユーザーも「欲しいものは今欲しい」という心理があるので、なんとなく嬉しい。
流通業としては経営サイドは取引が増えて売り上げが増えるので嬉しい。
しかし、「配達する人」にとってはどうなのだろう?
「給料が増えるんだからいいんじゃない?」
そりゃ多少は増えるかもしれないけど、同じところに毎日何回も届ける。
いなければまた行かなければならない、場合によっては「居留守」を使われることもある。
再配達は無料なのだ、だからこちらも気兼ねなく再配達を頼める。
これって精神的に相当のダメージがくると思う。
「配達する人」の犠牲によってamazonとユーザーのそこそこの喜びと流通業経営者の薄い利益を生み出している。
払う犠牲に対するメリットが少ないと思うのは自分だけではあるまい。
ユーザーである我々は「享受するサービス」にある意味貪欲である。
そしてその欲はどんどんエスカレートして行く。
「ここまでやってくれて当たり前」「なんでやってくれないの?」
一度過剰なサービスに味をしめると、逆にサービスのないことを詰ることまである。
たった数年前まではそんな要求をしたこともないのに。
便利な世の中はそれだけでありがたい、しかしその便利の裏側で泣いている人がいるとしたらどうだろうか?
本当に必要なサービスとたいして必要ではないサービス。
そろそろ、その辺りの加減を考えて行かないと際限のない世界になりそうだ。
特に労働人口が減少して行く日本においては深刻な問題である。
現在「働き方改革」という名の下に「時短勤務」「同一賃金」「国民皆労働」を促進している日本。
それらの掛け声は中小企業やサービス業の現状にそぐわないものだらけである。
だからこそ今回の「ヤマト運輸」の決断は素晴らしいと思うのである。
企業の薄い利益よりも「社員の思い」を大切にする姿勢。
これから企業が考えなければならないテーマだと思う。
それに便利なサービスには「対価」が必要なこともユーザーは学ぶべきである、「便利」はいつでも無料で供給されると思うのは危険である。
近江商人の「三方よし」はサービス業にだって活かされなければならないはずだ。
働き方改革も良いが生活革命も同時に考える機会になれば良いと思う。