じゃんがら念仏踊り。
福島県いわき市に古くから伝わる郷土芸能。
新盆(この一年の間で亡くなった家族がいて、初めてのお盆)を迎える家の庭先で行われる念仏踊りである。
子どもの頃、お盆の時期をいわきで過ごしていた自分にとってはなじみのイベント。
その独特なリズムと踊りは物悲しいものだった。
先週の火曜日、両親を連れて1年ぶりのいわきへ。
両親にしてみれば1年ぶりの帰郷である。
親戚周りをしながら、去年立ち寄った津波の被災地区へ。
去年の同じ頃立ち寄った時は、津波と火災で何もなくなり荒涼とした風景。所々に焼けた痕が残っていた。
1年という時間を経過してどのように変化したのかを見たくて、立ち寄った。
両親は、なじみの場所の変わり果てた姿を見る事に抵抗はあったようだが、いつまでも目を伏せてはいられないと同行する。
被災地域に入ったとき、冒頭のじゃんがら念仏踊りに出会う。
車の窓を開けて念仏を唱える母親。
久しぶりに見るじゃんがらの踊り。こんなに哀しく切なく感じた事はない。
じゃんがらの念仏が響く被災地区。
すべてが奪われた荒廃した土地に、なぜが小さな祠が残っている。これだけが流されず、そして燃えずに残ったのであろう。
この土地に人が戻って住む事は二度とないらしい、この荒れた土地はこれから数年は、このままの状態であろう。
市や県が何らかの手を差し伸べるのではないか、という東京人的な甘い発想は、今のいわき市民にはない。
親戚の家で話を聞いたところ、市の財政は逼迫しているそうだ。
原発近くのいくつかの町がいわき市に仮設の町を作り、その運営予算を市が肩代わりしている。
それらについては県からも国からも支援がない。市民の税金で賄っている。
さらに、市は地震で痛んだ家屋を一軒づつ点検し、取り壊す必要のある家屋は市の予算で壊すそうだ。
市民の税金は倍になり、行政サービスに贅沢は言えない現状らしい。
避難地域を増やした原発関連については、東電の無礼な対応に市民は本当に怒っている。
わずかな慰謝料を支給し、口止めをしている現状。
避難を余儀なくされる人々、そして受け入れる側の負担の大きさ。
マスコミで報じない現実の厳しさを目の当たりにした。
人が住む事ができない被災地区に行政が予算をつけて再開発するのにはまだしばらくの時間が必要だろう。
去年「もういわきで農業ができないかもしれない」と話していた叔父。
線量検査の手間は相変わらずあるが、とりあえず問題なく出荷できている現状から去年よりも元気になっている気がする。
お盆の時期なのに働く叔父たち、数日前に復旧した「道の駅」で働く人々。
去年よりも街に出ている人が多い。子どもも増えてきた。
確実に元気が戻ってきている。
皆、哀しみや苦しみを抱えながらも、なんとか以前の暮らしに戻ろうと頑張っている。
本当の笑顔はまだ先なのだろうが、とりあえずは前に向って歩こうとしている。
そんないわき市民に「頑張れ!」と言いたい。
それに比べて、自分の置かれている環境はなんて恵まれているのだろうか。
辛い状況でも、黙って必死に生きる人々がいる。その人たちの気持ちになればなんて事ない。
人知れず、な夏である。
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