8月14日、お盆の最中に、いわきへ親戚参り。
震災後、3回目の両親を伴っての訪問。
今年は四倉の海が3年振りに海開きしたという話を聞き、多少は震災の傷も癒えてきたかと期待をしながら・・・。
朝9時に出発。
常磐高速は、年末でもお盆の時期でも然程の渋滞はない。
特に震災後は。
そんな高をくくっていたのがいけない。
加平から柏までビッシリ渋滞。
さらにその先もちょいちょい渋滞発生。
結局、通常であれば2時間半で到着する行程を4時間かけて到着。
まずは父方の実家に参り叔母に挨拶。
改めて震災の話を聞く。
昨年に聞いた双葉町からいわきに避難してきた人達のその後を聞きたかった。
「そうそう、実は結構大変だったのよ」
やはり行政サービス負担の話か?
「いや、行政サービスをいわきがやるのは当然なんだけど、風評被害!」
は?風評・・・?
「いわきのゴミ出しは細かく分別なのよ。可燃、不燃、ビン、ペットとかね。ところが双葉は何でも一緒に出すの」
はぁ。
「それでね、避難している人達に分別で出してくださいってお願いしたのね」
まぁするね。
「そうしたら、熊本に避難した双葉の人が『いわきは冷たい!』ってマスコミに訴えてね」
はぁ。
「なんか世の中的にいわきは冷たい市民だって話になってね」
なってたか?
「こりゃまずいってんで、いわき市長がマスコミを使って訴えたの」
なんて?
「郷に入れば郷に従えって」
なるほどね!
「そうしたら、批判も無くなって今は問題なし」
へぇ!
「それに、その事がきっかけで国からもいわき市に助成金が出るようになったから良かった!」
そりゃ良かった!
「まぁ当面の問題は、避難している人が多い地域の公共施設は他の地域よりも混雑する事くらいかな」
ああ、それはありそう。
って言うか、問題ってそんなものなのか?
もし、叔母の思いがいわき市民の総意だとすれば、いわき市民とはなんと寛大なのだろう。
避難している人を受け入れて、行政サービスも無償で提供し、場合によっては土地すらも提供しているにも関わらず、自我を主張し不満を言う事がない。
父の実家を出て、母方の親戚を参った時にも最近の状況を聞いていたのだが、現状に不満を言う人はいなかった。
農家の叔父は、出荷の際に自分の名前を農作物のラベルに添付しなければならない。
1個ずつ、すべてに。
面倒な作業で、福島県以外では必要ないようだ。
セシュウム検査については全く問題ないにも関わらずだ。
それでも、叔父は一つ一つ丁寧にラベルを張っている。
風評被害で米の出荷が鈍くなり、叔母の家では米が作れなくなっている。
それでも、母親に「米持ってけ」と言いながら米の入った袋を車に乗せる。
「作ってないのにもらうのは悪い」と母が言っても「いいから」と渡す。
自分の状況がどんなに厳しくても相手の事を思う。
なんと言うメンタリティ。
今回、数名の叔父叔母から近況を聞いたが、震災に関する愚痴を口にする人はいなかった。
むしろ海が少しづつでも復旧している事を誇らしげに語っていた。
当初、それはあきらめの心境なのか?とも思ったが・・・。
違う。
状況を素直に「受け入れる」事にしたのだ。
誰かに愚痴っても所詮なんの解決にもなりはしない。
それなら、状況を受け入れてそこからどうするかを前向きに考えようとしている。
それが東北人特有の気質なのか、本質的に日本人が持っている気質なのかはわからないが。
親戚参りが終わり、17時過ぎに毎年訪れる被災地域。
3回目の訪問、2年半という時の経過だけを感じた。
未だに本格的な復興作業ができない地域があること。
目をそらさず受け入れる、そこから始める。