夏とはいえ、こんなに暑かっただろうか。
異常高温注意報が出ている関東エリア
外で遊ぶ子ども達も大変である。
今の子ども達にとって夏の思い出とは何だろう?
異常に暑く、外で遊べなかった思い出だけでは寂しい。
自分が子どもの頃、夏の思い出は“いわき”と共にあった。
1ヶ月のいわき生活は、“街生活”と“田舎生活”に分かれる。
街生活とは平駅(現いわき駅)近く、父方の実家で過ごす時期。
同じ歳の従兄弟“H”がいるので、ほとんど彼とつるんでいた。
朝起きると、家で飼っているニワトリとうさぎに餌をやり、庭の掃除をする。
父方の実家を継いでいるのは、父の兄で小学校の先生。
躾に厳しく、それは甥である自分に対しても例外ではない。
滞在中はHと共に家の仕事を手伝いを義務付けられた。
朝の仕事が終わり、朝食が終わると叔父の勤める小学校のプールに遊びに行く。
他の子ども達から「先生」と呼ばれている叔父の姿が何と無く恥ずかしいように感じた。
午後になると駅近くのスーパーに涼みに行った。
自宅にクーラーが普及していない時代だ。
スーパーは子ども達の格好の遊び場であった。
街の夏休みとは概ねこのようなものであろう。
毎日が同じような事の繰り返しでも、Hと一緒にいれば、それなりに飽きないものだ。
田舎生活とは母方の実家で過ごす時期。
田舎での生活は一味違う。
母親の実家があるのは駅から車で30分以上かかる場所にある。
周囲が山に囲まれ、家の前には小川。
畑が見渡す限り広がり、養豚小屋があった。
畑の先に比較的大きな川が流れており、我々の格好の遊び場だ。
この家には従兄弟が3人おり、自分よりも少し年上の従兄弟が二人、少し年下の従兄弟が一人だった。
朝起きると、農家の叔父叔母はすでに仕事でいない。
既に用意されている朝飯に食らいつくと、着替えもそこそこに川に行く。
従兄弟が用意した、木の枝先に釘を刺した“銛もどき”を手に川底を探る。
銛で岩魚や鮎といった小魚を採ったり、畑に生えているトウミギ(とうもろこしの方言)を無断で頂く遊びが日々の日課だ。
昼飯は川原で、その日の戦利品を小枝や枯葉で焼いて食す。
家から持参した醤油をかけると、香ばしい香りが広がり、何とも言えない味だ。
たまにタイミングが合うと“豚の去勢”の場面に出会う事もあったが、同じ雄としては何とも酷いシーンであった。
それぞれ場所によって日々の過ごし方は違うが、お盆の前日にやることは決まっている。
仏様が迷わず家に来られるように“迎え火”を焚くのだ。
それぞれの家の前で炊く迎え火。それらの支度はすべて従兄弟達の仕事。
当然自分も手伝う。
そしてお盆になるということは、両親が迎えに来るということ。
お盆の時期は両親と共に親戚に挨拶回りだ。
お盆の最終日、送り火を焚くといよいよ東京に帰る。
家に帰れる安心感と、田舎に対する哀愁の感が入り混じっていた。
自分にとっての思い出のいわきが、今、違った意味で有名になってしまった。
あの震災で変わった田舎。
夏の思い出が、また“いわき”で作れるようになるには、あと何年かかるだろう。