今の日本人は生まれてからずっと「他人」と比べられている。
生まれてすぐに「新生児平均体重」などというもので比べられる。
平均よりも軽いだ、重いだとかね。
ハイハイができるようになったのは何ヶ月後、立ち上がれたのは?言葉を発したのは?
「隣の赤ちゃんとの比較」もしくは「平均値」との比較で一喜一憂する。
もちろん一喜一憂するのは「親」である。
この「比較の幸せ」はその後さらに加速する。
どの幼稚園に入園した?小学校は?中学、高校は?大学は?どの企業に入社?
「成績が良い」「先生に認められている」「スポーツができる」
ことあるごとに比較して自分の子が少しでも勝っていたら悦にいる。
「〇〇ちゃんはね・・・」などといい年になってもちゃん付けで他人に自慢する。
「過保護化」が進んでいる。
もちろんそうでもない親もいるので「両極化」が激しくなっていると言った方が良いか。
「過保護化」した親の傾向として、自分の子どもの評価がイコール自分の評価と感じている場合が多い。
自分の子どもが周囲よりも優れていると「自分」が優れていると思い込み、周囲よりも劣っていると「自分」ができないと思われていると思い込む。
子どもにしては迷惑な話だが、親が子どもに「憑依」しているのだ。
なぜそんなにも他者と比べることを意識してしまう?
我々世代、昭和30年代から50年代に生まれた世代が育った高度成長期。
ベビーブームの中で日本の人口は爆発的に増加していった。
「個の尊重」などという時代ではなく「偏差値重視」な教育体制。
周囲よりも少しでも抜きん出ないと「その他大勢」として扱われる。
だから、周囲はみんなライバル。
運動会だって演劇だって、受験もそう、就職なんて大変だった。
だから比べる相手が周りにたくさんいて、比較する相手より少しでもよければ「よっしゃ!幸せ」って感じだった。
そういう人たちが、今親になっている。
学校時代に評価された人もされなかった人も。
自分たちの子どもだった頃のルールで自分の子どもを見ている。
その頃のように勝手に比較対象を見つけて、相手よりも評価がよければ「勝ち」なのだ。
だから過干渉、過保護な親が増えるのだ。
でもね、今の時代は他者との比較で優秀か否かで価値が決まるものじゃないよ。
それぞれ個で得意不得意がある。
得意を伸ばして、不得意は全体でカバーしていく。
高度成長期のベビーブームじゃない、少子高齢社会なのだ。
生産性は上がっているけど高度成長期じゃない。
他者との比較なんて意味がないんだ。
どんな人間だって「できないこと」がある。
それを「できる」人間が補う。
そうやって凹凸を埋めあって社会ができている。これからはそうなる。
だから、自分は人よりも優れているかどうかなんて考えなくて良いんだ。
自分の「できないこと」を認める。
「できること」を伸ばしていく。
学校だって会社だって社会だってそうなる。
そうなると、もう少し生きやすい社会になる?
とりあえず、他者と比較するのって疲れるし幸せ感じないでしょ?
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