毎日変わらずに過ごすことができる。
全員が忖度し合いながら、問題になりそうな事は事前に始末する、皆の耳には入らないように。
「安定した組織」
組織を守る事で、人々は心乱される事なく日々平和に過ごしていける。
そんな組織がある出来事で不安定になってしまった。
できるだけ早く元の安定した状態に戻したいと必死になっている。
いわゆる「日大タックル問題」での幹部や大学側の対応である。
ピラミッド型で安定した組織が底辺から崩された時になのが起こるのかが如実に現れてしまった今回の事態。
学生達の真摯な姿勢に比べて大人達が組織の安定を保つ為の薄っぺらな虚言が世間の批判を集めている。
特に大人が学生達を切り捨てるような態度に世間は怒り心頭だ。
歴史あるスポーツの世界では組織を守るために「個」を犠牲にすることはよくあるようだ。
大手企業の組織運営にも良くあること。
だからこそ学生時代に体育会系だった人材は大手企業に好かれる。
組織の安定のために「個」を犠牲にすることを厭わない訓練がされているからだ。
今回の学生の発言も決して組織の長を陥れるような発言をしていない、あくまでも「自分が悪かった」と発言している。
マスコミや世論がここまで騒いでいる背景には単純に違法なタックルという行為に対して憤っているわけではなく、こうした組織と個の問題をまざまざと見せられているからだろう。
アメリカンフットボールのようにたくさんの人数が集うようなスポーツでのチーム運営はピラミッド型の組織が一般的。
その長たる人物を守るためにピラミッドの底辺を着るのは当たり前というところだろう。
安定した組織というのは多かれ少なかれそのような要素が多い。
安定を守るために「不具合」を見ても見ないふりをする。
「上の人が言うのだから自分は黙って従おう、それがチームのためになる」
「たとえ上の人が言うことでも自分の信じるところとは違う、それはできない!」と言う人間は安定した組織では排除される。
なぜ、ここまで組織の安定を守りたがるのだろう?
安定した組織こそが「成績を上げる」のであろうか?
スポーツであれば勝敗でありビジネスであれば業績であろう。
スポーツの世界は良くわからないがビジネスの世界では安定した組織が業績をあげるとは限らないようだ。
むしろ不安定感のある組織の方が業績をあげやすい。
上下の関係が微妙だったり、同僚の中が悪かったりする方が業績が上がる。
意外とそんなものだったりするのだ。
「あいつの言うことなんて聞けるか!自分のやり方で動かしてやる」や「あいつに負けたくない!何か別のやり方はないだろうか」
まさにイノベーションはそう言う現場で起こりやすい。
絶対的に信頼できるリーダーに従うのは楽なのだ。
誰がリーダーかわからないような混沌の中にこそ本当の変化は起こっていく。
一人一人が考えて行動しなければならないからだ。
ただし、そこには共通の「目的」が無ければならない。
単純な売上だけではなく、そこには「本当の目的」があるはず。
事業の本当の目的とは何か?を共有しなければ組織の混沌は混迷になってしまう。
社会の役に立ちたい、こうな世の中を実現させたい、だから我々の事業がある。
事業の目的は売上だけではない、役割を担っている。
スポーツだってそうではないだろうか?
単純に勝敗だけがスポーツの真の目的であろうか?
日大アメフト部の指導者達は「本当の目的」を見失ってしまっていたのではないだろうか?
単に勝敗だけにこだわり「安定した組織」を守るために薄っぺらな忖度を繰り返す。
不安定になっても良いから、混沌の中からもう一度立て直す覚悟が必要ではないだろうか?
我々はなぜ存在するのか?
教訓になる出来事である。