この本の最初に書いてある一文である。
今、ビジネスマンに「哲学」が流行っている。
と言っても何人がうなずくのかはわからないけど。
少なくても自分はここ数年かなり気になっている。
山口義行教授から教えていただいたヘーゲルの「弁証法」がきっかけだ。
「螺旋的発展」「質量転化の法則」「否定の否定」などなど。
山口先生にかかると、それらが「学問」ではなく「考え方」になるから不思議だ。
すぐに現実の社会に置き換えられる「自分の事業ではどうだろう?」「組織に置き換えるとどういうことだろうか?」
翌日すぐに実践できるヒントがてんこ盛りである。
「よし、ここまで参考になるのであれば、いっそうのこと『ヘーゲル』を勉強してみようかな?」
などと本屋で弁証法の本などを手にすると・・・「全く理解できない」
自分の出来の悪さを棚に上げて言わせていただくが「本では理解できない」のがこの弁証法である。
山口先生に噛み砕いていただくからこそ現実社会に置き換えられるのだと悟。
元々「哲学」を学ぶ機会はあった、大学にも哲学の授業はあった。
しかし、その時には何一つ面白いとは思わなかった。
学生時代には面白くないものでも社会人、特に経営者になると面白くなるのであろうか?
そんなことがあれば良いのだろうが、実はちょっと違うのかもしれない。
「哲学を学ぶ」のと「哲学するのを学ぶ」では大きく違うからではないだろうか?
哲学の授業では「哲学の歴史」や「哲学者の主張」や「哲学とはなんぞや」という内容ばかりで「哲学的思考をする」なんて授業内容はなかった(気がする)
あっても参加しなかったとは思うが・・・。
さて、この年齢になり立場になり山口先生に「哲学的思考のススメ」を諭されてから世の中の見方が変わった。
世の中ではすでに当たり前のように認識されているものでもあえて「問う」のである。
形あるものから無いもの、思考にまで及ぶ。
「社会とは何か?」「美とは何か?」などなど、我々が踏み入れたら一生解決しないような難しい問いを繰り返すのである。
そこで我々の世界に限定して考えてみると、こういう問いが出てくる。
「会社とは何か?」「仕事とは何か?」「顧客満足とは何か?」「社員の満足とは何か?」
これらは当然に考えるべきテーマである。
そして答えは?
それはそれぞれが決めることなのだ、誰かの正解は皆の正解では無い(正解とは限らない)
試しに「仕事とは何か?」という問いについて思考してみる。
「対価を受け取るための代償」 うーん、いかにも産業革命時の欧州って感じかな
「大人の義務」 小学生からの回答としては○なのかな
「やりがい」 お、高度成長期の日本人的回答かな
「社会と自分との接点」 なんかカッコいいなぁ
「己の喜び」 自分はこれかな
他にも色々あると思うし、あって良いと思う、どれが正解ってことはない。
要するに一つの「事」について一生懸命思考してみることが大切ってことだと思う。
「そんなの当たり前じゃん!」ということについてあえて突っ込んで考えてみる、そこから新たな発見があるってこと。
これって現代の日本人にはとっても苦手な作業。
学校教育の中では「思考する」訓練を受けていない。
最初に書いたように「哲学」の勉強はしても「哲学する」ことを学んでいない。
それはどの教科も一緒でしょ?
数学も英語も理科も社会も学ぶけど、どのように使うのかを学んでいない。
だから社会に出てからみんな困る。
「学問」は学ぶけど、学んだものを活用できる人が少ないんだね。
みんな簡単に答えを求める、自ら思考する癖ができていない。
抽象的な課題や漠然としたテーマを出すと、みんな頭の中が「?」になる。
そして「誰が決めてくれた答え」に頼ってしまう。
でも、これからの社会では学問ができても「思考する能力」がないと生き残れない。
そう感じるから今、「哲学をする」ことを学ぶ本が売れている。
それが冒頭の本であるから売れているだろうね、読んでるけど面白いです!
人生100年時代、他人から与えられた価値観だけで生きてると「こんなはずじゃなかった」なんてことも起こりえる。
このまま何も考えずにいると・・・
「ボーと生きてんじゃねぇよ!」byチコちゃん(NHK土曜朝8時15分より再放送中 知合いが音声やってます!)
と5歳児に言われちゃうね!