子どもの頃は「指導」してくれる人がたくさんいた。
両親であったり近所のおじさんだったり親戚のおじさんだったり。
箸の持ち方が悪ければ親に厳しく指導されたし、マナーが悪ければ叱られた。
少年野球を始めればボールの投げ方やバットの振り方を近所のおじさんたちが教えてくれた。
成長して思春期になり両親に反抗するようになると親戚のおじさんが色々と諭してくれた。
学校や塾では先生たちに指導された。
勉強の仕方だったり、周囲との人間関係だったり。
楽器を始めると先輩たちに指導された。
演奏の基本やセッションの仕方など。
社会に出るまでに様々なシュチエーションで指導を受ける経験をする。
社会に出てからも変わらず指導される。
特に自分は若干常識に疎いところがあったようで機会が多かった。
社内での立ち居振る舞いであるとか仕事に対する姿勢であるとか、指導される内容は様々だったが為になったこともあった。
ただし、5年もするとそんな自分も指導されることがなくなり「自己流」が確立していくようになる。
そんなタイミングで起業した。
上司がいない、指導してくれる人がいない環境になる。
まさに「自己流」を貫くには格好の場所。
「オレ流」がしばらく続く。
しかし、うまくいかないことに気がつく。
そんな時に「誰かの指導を受けたい」と痛切に思う。
その頃、自分の場合は周りには先輩経営者が多くいたので相談する相手には困らなかった。
皆親身になって答えてくれた。
しかし経営者の問題は同じように見えてそれぞれ同じではない。
「正解」などというものは存在しない。
結局、自分なりの「正解」を導き出すしかない。
組織に属して指導されていた時は「答え」があったから楽だった。
不満があろうとなかろうと指導者が言う通りにやればそれで良かった。
うまくいかなかったら指導した人の責任にすれば良い。
ところが、経営者やプロの職業の人などはアドバイスはもらってもその結果の責任は自分にある。
それは自覚している。それでも指導者は必要なのだ。
「今の自分のやり方が本当に正しいのか?」「もっと違う視点であれば違うやり方をするのだろうか?」
自問自答だけでは堂々巡りになってしまう。
だから第三者目線として指導者の存在が必要となるのである。
経営者でなくても社会人経験を5年10年と積んだ人も指導者の存在は必要と思う。
他者からの目線で自分にとって「足りないもの」「強化した方が良いもの」「直した方が良いもの」を指摘してくれる存在はとても大切だ。
そんな存在が組織では「マネジャー」と呼ばれる存在なのだ。
マネジャーとは事業推進の旗振りと同時に「良き指導者」でなければならない。
結局どんな立場の人間でも指導者という存在は欠かせない。
必要なのは指導者の「言葉」を素直に聞くことができるかどうか。
当然ながら素直に聞いた者の方が正解に辿り着きやすい。
ただし、本当の正解は自分の中にあるはず。
自ら考えることがなければ指導者のアドバイスも身にはならない。