世の中「独裁」が嫌いである。
先日の衆院議員選挙でも「安倍独裁政治を止めろ!」という掛け声の元、野党は戦っていた。
「独裁」という言葉を使うと過去の嫌な思い出にリンクする。
それがもたらす最悪の結果が戦争である。
そのイメージは遺伝子レベルで日本人に染みついている。
「独裁」という言葉を忌み嫌うのもわかる。
翻って、現実社会を見るとどうだろう?
日本は独裁とまでは思わないが、いわゆる1強状態は確かだ。
アメリカは大統領の権限が絶大で独裁、ロシアも独裁、中国も独裁。
さらに北朝鮮では独裁によって世界中に迷惑をかけている。
東南アジアでも独裁の政治状態は多く見られる。
確かに、独裁はちょっと怖い気もする・・・。
一方でEU内では民主的な国家が多い、イギリス、フランス、スペイン・・・。
実はそれらの国では政治が不安定になっていて経済も危うい。テロも多く発生している。
こうして見るとどっちも怖さは一緒かな。
「馬鹿を言うな!独裁者の思い通りにやってうまくいくはずがないだろう!」と言われるかもしれない。
それはそうなのだろう。
しかし「独裁する側」からの目線で見ると風景が変わってくる。
自分の判断一つで大きな組織や社会を変化させることができる。
確かに気分の良いことかもしれない。
しかし、判断一つ間違えれば大きな損失、最悪の場合は多くの人の生死を分けることもある。
激しいプレッシャーとストレス。
独裁者が「まともな人間」であれば尋常ではない圧力を感じるはずだ。
それでも推し進めなければならない事象があるとしたら。
どんなに反対されても「今変えなければならない!」と言う強い意志があるとしたら。
そしてそれが私利私欲ではなく社会正義の為だとしたら・・・。
そんな使命感を持って何んらかを成し遂げた独裁者であれば、未来には英雄と称えられるかもしれない。
様々なしがらみがあって変えるべきなのに変えられないようなことがある時こそ、独裁が必要なのかもしれない。
混迷した状況で誰かが指針を示さなければならない時には独裁でも良いから進むべき道を指し示すことが大切だと思う。
そう状況での独裁は、実は相当の心労であり不安もある。
近くの誰かを頼りたくなる、相談したくなる。でも結論は自分しか出せない。
全責任は自分にあることは自覚している。
周囲から非難される、それでもやらなければならない時もある。
国レベルの独裁は確かに恐ろしさは感じるが、会社や自治体では強いリーダーシップが必要な時がある。
独裁、独善的な行動は取りたくはないが仕方のないこともある。
悩ましいことである。